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アルベール・カミュ、『ペスト』

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◇ カミュの『ペスト』がいまの日本と重なる
 中国から広がった新型コロナウィルスの感染が、世界各国に拡大し、予断を許さない状況になっています。
 この状況の中で、多くの人が、アルベール・カミュの『ペスト』を思い出したようです。
 この小説は、ノーベル文学賞を受賞したカミュの代表作で、出版は1947年。

 日本で突然ベストセラーになって、品切れになってしまいました。
 ここに描かれた状況が、コロナウィルスの感染が広がるいまの世界と重なってしまうからでしょう。

ペスト2

◇ アルジェリアのオランに突然ペストが発生
 あらすじを紹介すると、つぎのとおりです。
 小説の舞台は、アルジェリアのオラン(これは、実在の都市でなく、架空の場所)。 なお、当時のアルジェリアは北アフリカのフランス領で、カミュが生まれ育ったところです。

 ある年の4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは、階段で一匹の死んだ鼠につまづきます。
 その後大量のネズミが路上に現れ、死んでいくのが発見されました。役所はネズミの収集と火葬を始めました。
 静かな恐怖が市民たちを襲い、地元の通信社は、対策の必要を訴え始めます。

 リウーが暮らす建物で門番をしているミッシェル老人が、高熱を発して死亡します。
 これと同様の症例が、オラン市内のあちらこちらに現れるようになり、やがて、死者が増えてきます。
 リシャールは、市内で最も有力な医師。リウーは彼に連絡を取るのですが、リシャールは、事態をあまり重要視していません。

 医師リウーの同僚である老医カステルは、これが腺ペストであることを確信します。
 カステルとリウーは、ペストの疑いに真剣に取り組もうとしない役所やほかの医師たちに対して、緊急の処置をするよう訴えます。
 やっとのことで県庁に保健委員会を収集して貰います。しかし、知事は、真剣に対応しようとしません。輿論を不安にさせないことを最優先に考えているのです。
 リウーは、「市民の半数があたかも死滅させられる危険がないかの如く振る舞うべきではない」と言います。 

◇ 感染が広がり、市は閉鎖
 そうしているうちに死者が急増し、市は突然閉鎖されて、外界から遮断されます。
 あらゆる試みは挫折し、ペストは拡大の一途をたどります。つぎつぎと人命が奪われていきます。
 後手後手に回る行政の状況は、いまの世界とそっくりです。
 しかし、この小説の目的は、行政の対応の鈍さを批判することではありません。 

 神父パヌルーは、博学で戦闘的なイエズス会の神父。教会を訪れる信者たち対して厳格な説教を行い、「ペストは、オランの持つ罪に対する神からの罰である。悔い改めよ」と説教します。

◇ 不条理に直面した人々の連帯が生まれる
 この小説を読んで感動する理由は、人々の連帯です。
 極限状況の中で、敢然と疫病に立ち向かっていく人々が現れました。

 ジャン・タルーは、「数週間前からオランに居を定め、大ホテルに住んでいる」人物。いわば、よそ者です。
  彼は、 志願の保健隊の結成を医師リウーに提案します。
 ジョセフ・グランも参加します。彼は、下級役人で作家志望。小説の序文を直し続ける老吏です。
 
 ランベールはパリに暮らす若い新聞記者で、オラン市の住人ではないのですが、取材に来ていたときに運悪くペストの流行に遭って街のなかに閉じ込められてしまったのです。彼は、妻が待つパリに脱出しようとします。
 しかし、当局が許可してくれません。そこでランベールは、犯罪歴のあるコタールという人物と連絡を取り、彼の持つ裏社会とのつながりを利用して、密輸業者による違法な方法でオラン脱出を試みようとしました。
 コタールは、犯罪者で、逃亡者。オランの市民たちが混乱する様子を見て、恐怖に苦しんでいるのが自分一人でないことを感じ、混乱を喜んでいました。また、封鎖されたオランと外部との間で行われる密輸に手を出し、多額の富を貯えていました。

 しかし、ランベールは、リウーの妻も病気のために転地療養中であり、夫婦離れ離れになっていることを聞かされます。ランベールは考えを改め、リウーたちに手伝いを申し出ます。

 彼らは、あらゆる 努力を傾けて、ペストとの絶望的な闘いを続けます。
 彼らを支えたのは、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感です。

◇ 自分の職務を果たすこと
 タルーは、リウーに「なぜ、あなた自身はそんなに献身的にやるんですか?神を、信じていないと云われるのに?」と問います。リウーのそれに対する答え:「僕は自分としてできるだけ彼らを護ってやる、ただそれだけです」。
 リウーはまた、ランベールに対して、「ペストと闘う唯一の方法は誠実さということです」「つまり自分の責務を果たすことだと心得ています」と言います。

 グランは、「なんらヒーロー的なものをもたぬ男」ですが、保健隊の幹事役を勤めます。

 隔離状態が数か月にわたった結果、オラン市民の多くは、自分ひとりの苦しみだけに取りつかれた状態を脱し、ペストがオラン市民全体に関わる災難だと考えるようになります。そして市民たちは各自の社会的責任のもとで、ペストに対抗する活動に参加するようになったのです。

◇ なぜ子供が苦しまなければならないのか?
 血清が作られて、予審判事オトンの幼子に試されます。。しかし、それは幼子の病状を改善することはなく、苦悶の中での死をもたらしました。

 罪なき子の死に直面した神父パヌルーは動揺。
 彼は、あらためて説教を行い、ペストがオラン市民の罪に対する神からの罰であるという最初の説教を訂正します。
 そしてクリスチャンは、神についてすべてを信じるか、またはすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。

 リウーはパヌルー神父に対し、オトンの息子は何の罪も負っていないのに犠牲になったのだ、と声を荒げます。
 リウーは、「子どもたちが責め苛まれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死ぬまで肯んじない」と言います。これは、ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンが発したのと、寸分変わらぬ宣言です(『だから古典は面白い』第6章の2)。

 リューは、心の平和に到達するためにとるべき道について、何かはっきりした考えがあるか、とタルーに訊ねます。「あるね。共感ということだ」とタルーは答えます。
 タルーは言います。「人は神によらずして聖者になりうるかーこれが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」。

 パヌルー神父もまたペストに侵されます。しかし、医師の診察を拒み、神の手に自分の運命のすべてをゆだねます。そして十字架を握りしめながら息を引き取りました。医師は、その症状が今までのペストとは異なることに気づきます。ついにペストの大流行にも終わりが訪れたのです。
 しかし、亡くなったパヌルー神父を調べたリウーは、その症状が今までのペストとは異なることに気づきます。
 ついにペストの大流行にも終わりが訪れたのです。

 コタールは、ふたたび自分だけが恐怖に苦しむことになるのを感じ、銃の乱射騒ぎを起こします。
 またグランは、ペストで苦しんでいたが回復し、新しい人生を始めることを誓います。

◇ 『ペスト』の最後は勝利宣言ではない
 猖獗を極めたペストは、突然潮が退いたように終熄しました。そうなってから後に、タルーがペストに感染し、死亡します。
 そして、町の外にいて病気療養中だったリューの妻も死去しました。
 新聞記者ランベールの妻は、彼のもとにやってきて再会を果たします。コタールは警察に逮捕されます。

 この小説の最後は、ペスト終息の祝賀祭が開かれる晩の風景です。
 遠くに花火が打ち上げられるのが見え、人々の楽しいざわめきが伝わってきます。
 この場面は大変感動的です。少し長くなりますが、宮崎峯雄訳(「カミュ著作集」2,1958年、新潮社)を引用しましょう。

 しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そして恐らく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼等の個人的な分裂にも拘わらず、更にまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたに過ぎない。
 事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦がつねに脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである―ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。

◇ コロナウィルスが提起した問題の本質は何か?
 カミュがみずから述べているように、『ペスト』は、第二次世界大戦時におけるドイツ軍占領下のフランスの隠喩です。
 「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」というのは、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警告なのです。

 コロナウィルスの感染がいつ終息するのか、現時点では見通しがつきません。しかし、疫病は、いつかは止まります。人類は、何度もパンデミックに見舞われましたが、それらは、必ず終息しました。
 スペイン風邪ですらそうです。多数の人が犠牲になったのは事実ですが、人間の社会が全体としてウィルスによって崩壊してしまうことはありません。
 経済に対する影響は暫くの間は残るし、人によっては、きわめて大きな損害を受けるでしょう。だが、経済の動揺もいつかはおさまるでしょう。世界経済に体する影響は甚大でしょうが、長期的成長がこれによって影響されることはありません。
 しかし、カミュがペスト菌によって喩えた全体主義体制は死にません。
 コロナウィルスは、「国家体制と疫病」という重大な問題をわれわれに突きつけたのです。



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