図書館ー2

シュテファン・ツヴァイク、マゼラン

シュテファン・ツヴァイク(関楠生・河原 忠彦訳)、『マゼラン』(みすず書房、1998年)は、 「ツヴァイク節」満載の歴史講話で、感涙にむせぶこと間違いなし。これは、ドイツ語の講談です。

◇「はじめに香辛料ありき
 『マゼラン』は、この言葉で始まります。
 人類最初の地球周航を果たしたマゼラン(フェルナン・デ・マガリャィス)の艦隊の目的は、地球の形状を確かめることでもなく、キリスト教を広めることでもなく、「金儲け」(というのがあまりに直接的なら、商業的利益の獲得)が目的でした。「香料諸島に至る西回りのルートを見出すこと」、それが航海の目的だったのです。
 そして、その目的は達成されました。なぜなら、帰還した1隻が積んできた香料の価値は、出航した5隻の船の建造費を上回ったからです。つまり、この航海は、ビジネス的な観点から見て、大成功だったのです。(もっとも、それは、航海の途中で失われた人命ーその中にはマゼラン本人も含まれていますーの損失をカウントしなければの話ですが)。
 金儲けを目当てに航海に出たところ、人類の歴史を変える大発見をしてしまった!
 これは、マゼランに限ったことではありません。コロンブスヴァスコ・ダ・ガマも、航海の目的は、すべて金儲けでした。

 「大航海」とは、イスラムの領土を通らずに東方貿易を行なえる方法の探索だったのです。この時代以降、それまでイタリア都市国家によって独占されていた東方貿易にスペインとポルトガルが参入し、思いもかけずに「発見」した新大陸によって、ヨーロッパが世界を制覇する時代が訪れることになりました。
 コロンブスに至っては、自分が成し遂げた空前の偉業の意味さえ理解していませんでした。
 彼は、4回航海を行なったのですが、到達したのはインドだと、死ぬまで信じていました。インドから数万キロも離れたカリブ海の島が「西インド諸島」と呼ばれるのも、アメリカ原住民が「インディアン」と呼ばれるのも、コロンブスの壮大な思い違いのためです。

◇人類が経験した最も偉大な瞬間
 1519年9月20日、マゼラン率いる5隻の船が、スペインのサンルーカル・デ・バラメーダを出港しました。目的は、西回りで香料諸島に達する航路を発見すること。しかし、そのような航路が実際に存在するのかどうか、確たる根拠は何もありませんでした。
 マゼランは、スペインから西回りで香料諸島に到達できる海峡が、必ず存在すると信じて航海に出ました。しかし、彼の信念の根拠であった秘密の地図は、出鱈目でした。海峡と記されている場所にあったのは、巨大な川(「ラプラタ河」)の河口だったのです。このため、彼の艦隊は、あてどのない絶望的な探索を、1年近く余儀なくされました。

    さらにいくつかの岬で裏切られたあと、越冬のため南緯49度にあるサン・フリアンに上陸しました。
 船員の間には不安が広がります。冬が訪れて船団が動けなくなってからは、とりわけそうでした。
 そして、ついに暴動が起きます。荒涼としたこの地で暴動が起きたのは、当然のことです。
 暴動を鎮圧したのち、マゼランは、5月末にサン・ティアゴ号を偵察に派遣しました。しかし、この船は嵐で難破してしまいます。
 艦隊がサン・フリアンを出航したのは8月24日ですが、わずか2日後の8月26日には、海峡の入り口のすぐ近くのサンタ・クルス河に到達しました。しかし、ここが海峡の近くと知らず、2ヶ月もここに停泊して春を待ちました。運に見放されたマゼランは、成功の一歩手前まで来ながら、不安と疑いにさいなまれて、2ヶ月間を無為に過ごしたのです。その間中彼の心を去来したのは、この大陸は南極までずっと続いていて、新しい大洋への出口など存在しないという、恐ろしい懸念だったでしょう。
 出航は10月18日ですから、海峡の入り口である処女岬発見のわずか3日前です。つまり、サンフリアンから処女岬までは、直航すれば5日しかからないのです。それにもかかわらず、3月末から10月までの半年以上、マゼランは目的地のすぐ近くで、無駄な足踏みをしていました。ことになります。
 もし彼が本当の地理を知っていたら、ラ・プラタ河の探索に半月も費やさなかったでしょう。そして、反乱も起きなかったでしょう。だから、3月中に海峡に到達し、冬が到来する前にそこを抜け出て、半年以上早く太平洋の航海を始めることができたでしょう。そうであれば、後で述べる地獄の航海であった太平洋の横断も、だいぶ違うものになったでしょう。
 しかし、当然のことですが、これは、マゼランがもたらした知識があるからこそ言えることです。最初の挑戦者は、あとに続くものとはまったく異なる困難に直面するのです。マゼランの航海をいくら賞賛しても足りないのは、それが前人未到の企てだったからです。
 「答えはあるのか? それともないのか?」 これこそが、あらゆる知識の中で、もっとも重要で、もっとも必要とされる知識です。マゼランの最大の困難は、この知識を持っていなかったことです。

 海峡らしきものが発見されたのは、1520年10月末のことです。しかし、探索に出た2隻は、いつになっても戻ってきません。遭難したのでしょうか?
 遠くにのろしが上がったのを見た時、マゼランは最後の望みが絶たれたことを知りました。発煙信号は、つねに遭難の知らせだからです。
 救助のボートを出そうとしたその瞬間、1隻が視界に姿を現しました。では、遭難は1隻で済んだのか?

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シュテファン・ツヴァイク、マゼラン

野口悠紀雄

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一人の伝道師(エバンジェリスト)として、noteを使って何ができるかに挑戦します。
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