『指輪物語』(The Lord of the Rings)(その3)
◇エオウィンとファラミア
ナズグルの首領との対決で瀕死の重傷を負ったエオウィンは、ミナスティリスにある療病院にいれられています。
ここには、ファラミアもいましました。。彼は、ゴンドールの摂政デネソールの次男。ファラミアはデネソールから疎んじられています。戦争で危険な役割を命じられ、やはり瀕死の重傷を負ったのです。
アラゴルンへの想いを実現できなかったエオウィンは、次第にファラミアに対して心を開いていきます。これは、素晴らしいラブストーリーです。
ファラミアは、詩を愛する魅力的な人物として描かれています。
ところが、主人公であるアラゴルンは、決して悪くはないのですが、格別惹かれるような人物にはなっていません。
指輪物語は、ワグナーの場合のジークフリートもそうですが、「力ばかりは強いが、知力がどれだけ強いのかが疑問」という人物になっています。アラゴルンとジークフリートは似ています。エオウィンがなぜアラゴルンに惹かれたのか、不思議です。
指輪大戦争が終わった後、ファラミアは、ゴンドールの南に広がるハラドウィンにあるゴンドールの属領南イシリエンの支配を任されます。エオウィンと共によい統治を行なうだろうことが予想されて、物語のハッピーエンドになっています(想像するだけで楽しくなります)。
◇なぜフロドは故郷に受け入れられないのか?
物語には、もう一つの結末があります。
フロドたちは、指輪の破壊に成功します。指輪大戦争で、人間とエルフの連合軍は、邪悪な冥王サウロンに打ち勝ちます。
かくして目的は達成されたわけで、本来であれば、フロドたちは故郷に凱旋して、「めでたし、めでたし」ということになるはずです。
ジョセフ・キャンベルによれば、冒険物語は、必ずつぎのような展開をします(『千の顔を持つ英雄』、(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、 2015年)。
キャンベルがそういっているわけではないのですが、洋の東西を問わずそうです(「西遊記」や「桃太郎」を見てください)。
(1)故郷を離れて旅に出る
(2)仲間が加わる
(3)敵(悪)が現れる
(4)最終戦争が勃発し、敵を打ち破る
(5)故郷に凱旋する
『指輪物語』も、(4)まではこのとおりの展開をしますが、(5)は違います。
物語の最後を、トールキンは、定石どおりには描いていません。
故郷に戻った彼らは、そこが全く変わってしまったことを見出します。彼らは故郷に受け入れられなかったのです。
そして最後の場面で、フロドは、エルフのガラドリエル、魔法使いガンダルフなどとともに、灰色の港を出港して大洋のかなたにある西の国に向かうのです。これはなんとも不思議な終わり方です。
このような構成にすることで、トールキンは何を伝えようとしたのでしょうか?
私の解釈は、「本当の功労者は、正しく評価され、報われることはない」というものです。
こういうとき、私は、シュテファン・ツバイクの『マゼラン』を思い出しています。ポルトガル大航海時代の基礎を築いたエンリケ王子は、インドへの航路の発見に一生を賭けたのですが、存命中に成果を見ることはできませんでした。同じような例は、人間の歴史で、数え切れないほどあります。
◇「いまだに指輪物語健在!」と祝杯
『指輪物語』の熱狂的ファンは、ある種の空間を共有する(熱烈に共有する)ことになります。
映画「火星のオデッセイ」で、火星に残された主人公を救出するための作戦がNASAの会議室で開かれるのですが、一人が、その会議を、指輪物語第1部でのエルロンドの館で開かれた会議になぞらえます。
全員がただちにその意味を了解し、作戦会議は、エルロンドの会議に変身します。
一人の女性は何が何だかわからず、「あんたがたみたいなオタクは、嫌い」と言います(よくぞ言ってくれた。これこそ、オタクが聞きたい反応です)。
この場面を見て、「いまだに指輪物語健在!」と祝杯をあげたくなりましました。
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