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「全世代型社会保障」という意味不明なキャッチフレーズで、社会保障の深刻な問題を覆い隠してはならない

  政府が進める社会保障改革は、「全世代型社会保障への改革」であるとされます。
 「全世代」とは、どのような意味でしょうか?
 「受益が全世代に及ぶ」という意味でしょうか?それとも、「負担が全世代に及ぶ」という意味でしょうか?

◇ 高等教育費の1部負担は社会保障ではない
 政府は、「あらゆる世代が社会保障制度から利益を得る」という面を強調しています。
 そして、例として、高等教育費の1部負担などを挙げています。
 しかし、これは社会保障制度と言えるものでしょうか?

 高等教育の充実自体は、もちろん必要なことです。
 これによって人的能力を高め、日本経済の生産性を高めることは、現在の日本においてもっとも必要とされることです。
 しかし、そのために必要なことが高等教育費の1部負担なのかどうかは、大いに疑問です。その前に、高等教育のカリキュラムの改革や、大学の学科構成の改革など、行なわれるべきことが山ほどあります。
 百歩譲って高等教育費の1部負担を認めるとしても、それは社会保障政策とはいえません

 政府は、国民生活に密接したさまざまな政策を集めて、「あらゆる世代が利益を得ている」と言いたいのでしょう。しかし、それでは、問題の本質を不明確にし、深刻な問題を覆い隠してしまうことになります。

◇日本の社会保障制度が直面する問題の本質は、負担者の減少と受益者の増加
 社会保障財政のもともとの姿は、「若年者が負担し、高齢者が受益を受ける」ということです。
 
 日本の社会保障制度が直面している問題は、負担者である若年者人口が減り、受益者である高齢者人口が増えるために、社会保障の財政の維持が難しくなるということです。
 これをどうするかが問われているのです。
 それを「全世代型社会保障」という意味不明な言葉で覆い隠してはなりません。

 まず第1に問題となるのは、「若年者の負担を増やすか、あるいは、高齢者の受益を減らすか?」です。
 例えば、公的年金について言えば、保険料や国庫負担率を引上げるか、あるいは年金額を削減するかの選択が求められます。
 これは、世代間戦争であり、世代によって利害は対立します。

◇実際に進行しているのは、「全世代型の負担」
 社会保障財政のもともとの姿は、「若年者が負担し、高齢者が受益を受ける」ことだと言いました。しかし、これは、「高齢者が負担しない」という意味ではありません。高齢者がかなりの負担をする場合があります。そして、現実には、高齢者の負担も増えています。

 つまり、「負担の面での全世代化」が進行しています。これは、政府が強調していない意味での「全世代型」です。
 しかも、その負担が正当化しがたい形で生じているのです。

 それが顕著なのが、医療費の負担です。
 医療費の自己負担率は、75歳以上は1割とされていますが、現役並みの所得があると、3割になります。本人だけでなく、配偶者に対しても適用されます。
 さらに、高額医療費の限度額が、所得が高くなれば低くなります。
 こうした措置を正当化する理由は何でしょうか?

 「所得が多くなれば公的な負担が増える」というのは、当然のことです。しかし、それは所得税において措置されています。所得税の税率は累進制になっており、所得が多くなれば負担率は高くなります。また、保険料の計算においても、所得が考慮されています。

 それに加えて自己負担率を上げたり、高額医療費の範囲を狭くする措置は正当化できません。これは、全く理由がない無原則の負担です。「取れるところから取る」というだけのことでしかありません。

 いや、正確に言うと、「取れるところから取る」のでもありません。
 基準は前年の所得なので、働いていた高齢者が病気になって所得がなくなったとしても、上記のような負担がかかってくるのです。これは誠に不合理な制度と考えざるをえません。

 一般に、社会保障制度における負担は目につきにくいので、様々なところで負担が増えています。しかも、それらの中には、正当化できないものも多いのです。
 「全世代型社会保障」は、このように不明確な社会保障負担増という形で、すでに進行しています。




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