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貧乏サラリーマンが見た世界375

今月26日、オリンピックの開会式を迎えるパリは政治的に揺れている。移民排斥や欧州連合脱退を掲げて来た国民連合(旧国民戦線)が6月30日の下院選挙でついに第一党に踊り出たのだ。背景にはフランスの伝統的な階級社会を受け入れて来た庶民の我慢を超えるほどの生活苦や治安悪化に庶民が見舞われているということにあると思う。国民連合の実質的なトップであるマリールペンさんはお嬢様であり、決して庶民ではないが、フランス国民からすれば富裕層且つエリートであるマクロン大統領の小難しい議論やEU内の政策提言などではなく目の前の生活を何とかしてくれということなのだ。フランス国民を第一に考えてくれということだろう。世界中の至るところで起こっている富裕層やエリート層と庶民との大きな経済格差が分断を生んでいる。1984年にフランス企業研修生として留学した頃の移民はフランスの工場勤務を中心とした労働者で1982年から83年にかけて大規模な労働争議を起こすなどしており、パリの街の治安も悪化し、地下鉄は危険として会社からは移動はタクシーを使えと指示されていた。同時に当時から旧植民地系の労働者に対するラシスム(人種差別)の問題を抱えている。後年、大統領となるジャック・シラク氏がパリ市長となり、治安回復に努め、地下鉄やバスを市民の乗り物に戻すとともに観光に力を入れ、建物の修復作業にも注力した結果、パリは世界の観光地に戻ったのだ。円高時代、パリは観光とブランドを買い求める日本人に溢れていた。留学から帰国後、一時職能部隊で勉強させられ、90年代初頭から海外事業担当として営業に復帰したのだが、取引先はパリのビジネス街であるラ・デファンス地域にあり、地下鉄1号線の終点なので1号線沿いで凱旋門と新凱旋門の間にあるポルトマイヨーのラヴィラマイヨーを定宿にしていた。近くにはパリでは一番の海鮮レストランだと自分が推すオーベルジュダブがあり、寒い季節には必ずダブで生ガキを食していた。生ガキには冷えたサンセールの白ワインが最高の組み合わせである。パリには長い間、仕事で通ったが、たまのプライベートではマドレーヌ寺院近くマルゼルブ通リのハイアットに泊まることが多かった。地下鉄マドレーヌ駅を上がると花屋があり、家人は常に花を買い、ホテルの部屋に飾っていた。食事はホテルからパレロワイヤルまで散歩を楽しみながら歩き、ルグランヴェフールでギーマルタンオーナーシェフの料理とそれに合わせたワインを楽しんでいた。現地の言葉を操り、街を知っていると普段はダサい親父でも恰好がつく。また似非紳士ながら買い物の作法に則れば、ブランド店でも並んだり、待ったりする必要はなく同行者に対して得点を稼ぐことが出来る。JМウェストンを愛する友人のI君は常にシャンゼリゼ通りの同店に注文が入っており、彼とパリを訪れると連れられて自分には分不相応なウエストンの靴を買ったものだ。パリには税金で買い求められた高級ワインが駐仏大使の公館で眠っている。公館はフォーブルサントノーレ通りのフランス大統領のエリゼ宮近くにあるのだが、庭がとにかく素晴らしい。パリにはOECD代表部大使も駐在されているが、聞くところによるとあちらのワインも素晴らしいとしか言いようがない。下々の自分はフランス語を話すので従者として公館を訪れるチャンスを得ただけである。根が意地汚いので源泉徴収された税金を取り戻すべくどこの国の公館でもワインをガブ飲みしていた。偉くならないことは中年になれば余程のバカでない限り分かるので何と思われようと良かったのだ。民間企業相手でも留学時代から観光ガイドとして度々貸し出され、ヴェルサイユ宮殿などには何度通ったか分からない。現在のパリは2015年のシャルリーエブドへのイスラムテロ攻撃に見られるように以来テロのリスクが高くなり、好んで行く場所ではなくなった。2015年はまだロンドンに駐在していたが、それ以来、パリで面談や会食がなければ、客先のあるボルドーのメリニャック空港まで直接ロンドンシティ空港から飛んでいたくらいである。偏屈なフランス人が購買部長であったが、フランス語を話す自分には対応が変わり、それだけで仕事が出来たのである。

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