かしこい店じまい

 去年の秋口から私の日課に散歩が加わった。例の感染症の影響で遠出を一切しなくなり近場でも屋内の施設にはできるだけ行かないようになり、こう身体を動かさないのは気が滅入るのでそうなった。だから今冬の厳しい寒さが急にやわらいで肌に暖かさが押し寄せたのはうれしかった。

 住んでいるのは田舎と言って良いほどの小さな地方都市なので、自宅からどの方角に歩いても大して時間がたたないうちに市街地の端っこの山や河川に当たる。そうしたらそこから別の道を通って帰れば歩数が八千前後で散歩を終えることができる。以前は一日一万歩が良いと言われていたように思うけれども、最近は一万は歩き過ぎという説が主流なようなので気楽に歩き回ってみると、子供の頃に行ったきりの辺りなどは全く様子が変わっていて驚く。

 年季が入ってくたびれた町はずっと変わらないでいるような錯覚を抱かせる。実際は建物やなんかがなくなるのは珍しくない。人によっては信じられないかもしれないことに、一昔前はショッピングモール建設によって個人商店が潰され生活が成り立たなくなるという主張の建設反対運動が盛んで雰囲気はまったく異なっていた。良くも悪くもきたならしい面構えの建物が多かった。あの頃を乗り越えた店でも跡を継ぐ人間がいないからと閉める所が最近多い。それとは別に昔から入れ替わりの激しい場所というのもある。長く住んでいる人たちの間では店が長く持たない場所は知れ渡っていて、知り合いがそこで開業するというと心配になるものだ。

「知ってる建物が消えて全く別のものに変わってるんだよ。それで昔と全然違う一角になっている。まるでゲームのシムシティみたいだよ」

 首都圏で就職してから以降まったく帰省しない友人との電話でこう言うと、彼は笑いながら、

「こっちならともかく俺たちの地元がシムシティなんてさすがにそれは誇張だろう」

 彼がわからないのも当然かもしれない。人も物も自然も心の中に根付いたものであればなんとなく不変に思える。自分だけは死なないように感じられる漠とした思考上の霧は無色でありながら視界を奪うのに長けている。

 シムシティや霧はともかく、散歩を日課としてからは潰れた店に気づくのが増えた。だからある日に国道沿いにあるギフトショップの駐車場に進入防止のロープが張られ、建物入り口に張り紙がしてあるのを見ても驚きはなかった。

「あそこは閉店したみたいだよ」

「あ、そうなの。厳しかったのかねえ。5年くらいかね開店してから。悪くなかったのに。駐車場も広いし」

「やっぱりこの街じゃダメと決まったのかも」

「まあねえ。採算とれなければ何年かで潰すって会社も多いし、コンビニなんかしょっちゅう潰れてるし。でもあそこ結構お客入ってると思ったのに。ギフトショップってなかなか儲けが出ないんかね」

「県外ナンバーの車もよくとまってたのに意外だよ」

 家族との他愛ない会話からしばらくのち、どうもあそこの後釜に全国展開している家電量販店が建つらしいという噂が立った。そこで散歩で行ってみると、なるほどあのギフトショップの特徴だったのっぺりとした平屋は跡形もなく消えて更地になっており、歩道と敷地の境の大きな横長の看板にはっきりと建設計画が書いてある。

 私は何の気なしにこの建設現場前を主な散歩ルートにしていった。自分では気にしていない風に思ってそう口に出して言っているのにそうでもないらしい。自分というものはよく解らない。

 大型トラックが次々に資材を運び込み、建物の骨組みが地面から天に向かって突き出した。昼間は賑やかなものだが夜間は静まり返っている。夜に通りかかると街灯に照らされた鉄骨の具合が発掘された遺跡に見えて趣深い。私は毎夜ここを通るようになった。

 ある夜、いつも通りに前の歩道を歩きながら建設現場を見やると、何かが動いたような気がした。変だなと立ち止まって目を凝らしたがわからない。もしかしたら面白半分に忍び込んだ子供かもしれないし、小動物かもしれない。そういえばここらでイノシシが出たと誰かに聞いた。突進されても困るので深追いせずに帰宅することにした。しかしどうにも気になる。

 次の日、同じ時間帯に行ってみた。するとやっぱり何かが動いた気がする。目を凝らすと、以前は平屋があったあたりに柱として立てられている一本の鉄骨の傍に、巨大な串団子みたいなというか、バスケットボールを積み上げたようなというか、ああそうだ雪だるまに近い……黒くて大きな球体が五、六個縦に積み上げられたものが揺れている。へんちくりんなオブジェなのか、ふにゃんふにゃんと上の方をしならせて不安定に揺れている。振り子の上下を逆さまにしたようなその動きを見ているうちに、それが一本 (?) だけではないのに気づいた。鉄骨を集合場所に決めているみたいに周りに陣取っている。数えてみると4本でそれがみんな、ふにゃん、くたん、へろんとしなっている。私は思わずその動きに自分の首を合わせて左右にゆらしてみた。

 ふにゃん くたん へろん

 ふにゃん くたん へろん

 おかえし どうしよ どこいこう

 ふにゃん くたん へろん

 ハッと我に返ると、目の前の団子たちは相変わらずゆらゆらしているが、こちらとの距離をせばめていた。さっきまで鉄骨の周りにいたのに、今はもっとこちら寄りにとめてある重機の横にいる。丸っこいものが積みあがっているだけなのにどうしてそういう動きができるのかわからないがとにかくこちらへ迫ってきている。そしてその団子の一粒が何なのかがはっきりわかった。生首だ。人間の首が積み上げられたものだ。

 ふにゃん くたん へろん

 ふにゃん くたん へろん

 あのひと なのかな そうかもね

 ふにゃん くたん へろん

 私は無我夢中で走った。中高生の頃よりも速く走れたと思う。筋肉痛は翌日ではなく二日後にやってきた。

 それから一週間経った日の夕食で、家族が何気なく切り出した。

「そういえば今日友達に聞いたんだけど、あそこ建設中止になったんだって。ほら、ギフトショップの跡地」

「なんで」

「詳しくはわからないけどさ。事故でもあったんじゃないのかって言ってた。でもそれだけじゃ中止までならないか。ただの噂かもね。でも本当に中止なら残念ね。散歩がてら見てきてよ」

 私はきっぱり断った。

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