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ニュー・アメリカン・ニューカラー

GFX100Sに、新フィルムシミュレーションのノスタルジックネガが搭載されました。世界の写真家からも要望が多く、以前から開発を検討していたとのことです。
じゃあニューカラーのフォロワーの代表は誰?
と考えると、すぐに浮かぶ名前がないですね。

マグナムとの「HOME」展を見ても、アレック・ソスは被写体選びや情緒の点でニューカラーに通じるものがありましたし、トレント・パークのトーンはニューカラーからの影響を感じました。でも直系という感じではなかった。
欧米では、透明感を感じるトーンよりも、高級感があって質感描写に優れるアンバー系のトーンが好まれることも、開発に影響しているかもしれません。

ぼくもアメリカン・ニューカラーには好きな写真家が多く、日本の若い作家たちはとくにニューカラーから強い影響を受けていると感じていて、カメラ雑誌に「ジャパニーズ・アメリカン・ニューカラー」という名称をつけて記事を書いたこともあります。ジャパニーズ・ニューカラーじゃないところがポイント。
ネガフィルムを使って、少し色が転んでいて(転ぶ方向はそれぞれ)、中判〜大判のカメラで、傍観したような視線で撮っているのが特徴。あとコンセプチュアルな写真集での発表を好むところ。
アメリカン・ニューカラー、とくにスティーブン・ショアと決定的に違うのは、逆光やボケを多用し、フレアなどを好み、建築物があっても仰角を気にしない(苦笑い)ところ。
そのジャパニーズ・アメリカン・ニューカラーの作家たちが、好んで使っていたフィルムが生産中止になったり、贔屓にしているラボがなくなったり、スタイルは維持してデジタルに移行したいと考えても不思議はありません。ノスタルジックネガはそこまで射程に入れているように感じます。

余談ですが、ショアの「Uncommon Places」をオマージュしようと考えたとき、「じゃあ、俺も8×10を担いでルート66を車で巡ろう!」とする写真家もいれば、精神性だけを抜き出して日本で撮ろうとする写真家もいれば、英語→日本語を翻訳するように、文化的背景も含めて日本的にローカライズして撮ろうとする写真家もいます。時代も、国も、まるで違う。高梨豊さんがロバート・フランクのオマージュをしたのとは訳が違います。
たとえば荒木経惟さんの「東京日記」は、カラーではなくモノクロで、8×10ではなく6×7で、ショアというよりは小津安二郎的ではあるけれど、「Uncommon Places」に通底するものを感じます。

もうひとつ興味があるのは、ニューカラーの作家たちが持っている魅力は、時代とフィットしたからではないか、ということ。本人たちも再生不可能なのではないかと。ポール・マッカートニーは今でも元気で音楽活動を続けているけれど、ビートルズと並べて評することはできません。
ストーンズやボウイみたいに、四十年もトップでいて、コンスタントに作品を発表して活躍し続けるミュージシャンは少ないですし、写真家も同じです。スタイルは真似されて消費されるのに、意欲を持ってカメラを向けられる被写体を持ち続け、モチベーションを維持していくのは簡単ではないでしょう。

じつはショアやエグルストンが、FUJIFILMのXシリーズを使って作品を撮って写真展を開催したことがあります。すごく興味深いイベントでした。
独特のトーンは当時の性能が悪いフィルムと印刷によるものだったのではないかとか、ジョエル・マイヤーウィッツが「あの頃は街も今ほどは色に満ちていなかったからね」と語っているように、被写体に依存している要素も多いはずで、現代のカメラを使ってあの人たちが何を撮り、どんなトーンで仕上げるのか、興奮しながら写真を見ました。

オフィシャルチャンネルでのX Labで、画像設計の担当者が語っていた内容で興味深かったことがいくつかありました。まずニューカラーの作家たちに共通するものは何かを見つけるところが難関だった、と。
ニューカラーというのは概念であって、単一のスタイルではないというのが個人的な考えです。しかし名前が技術的な要素から付けられてしまった。ロバート・フランクたちを指す「アメリカン・ニュードキュメント」とは精神性(と視点)の刷新です。でもニューカラーという言葉の響きには、「カラーで作品を撮るようになった新しい時代」というニュアンスよりは、あの特有のトーンに限定してしまう危険をはらんでいます。
ほんとうはヌーヴェルバーグとか、アメリカン・ニューシネマなどと比べて論じるのがいいのでしょう。でもまずはあのトーンから語られてしまう。

しかも我々はそれを印刷物で見ている。ジョエル・スタンフェルドとスティーブン・ショアのトーンの違いは、作家が好みで選んだものか、ラボなどの要素が関わっているのか、とか考え始めたらきりがない。
そこで画像設計では、ふたつの重要なポイントを見出して、ノスタルジックネガに組み込んだと話していますので、ぜひビデオは見てみてください。「まず神田神保町に行って、絶版になっているものが多いニューカラーの写真集を買い集めるところから始まりました」というところ、すごくいいです。

ぼくも少しだけそのプロセスに関われたので、詳しいことはCP+のトークショーで語っています。そちらもぜひ。
今回、「Uncommon Places」の精読に挑戦しました。ショアの写真集は、再販されたタイミングも含めて"見る写真"から"読む写真"への転換を促していて、写真集を読もうといったイベントで取り上げることも多いようです。
ショアは作品をまとめていく方法論を、ウォーホルのファクトリーにいたときに学んだと語っています。時期が重なる、そして現代に多大な影響を与えているベッヒャーと接触はあったようですが、あくまでウォーホル。それを頭の隅に置いておきながら、さて、何から始めようか・・・と考え、インタビュー記事を検索して読んだり、Google Mapで道程を辿ったり、いろんなことを試していて、ふと疑問が浮かびました。

ショアが車で走り出したとき、カーラジオから最初に流れてきた曲は?

もしショアの自伝を映画化するなら、超重要なことですよね。
72年、73年、74年あたりのヒット曲で、これから新しいプロジェクトに挑もうとしていて、でもキャリアは十分にある写真家が聞くなら、ニール・ヤングの「Heart of Gold」なんて最高じゃないか? と仮定して、しばらくはこれを聴きながら写真集のページを行ったり来たり。
同時代の映画とトーンを比べてみたり、もしこれまでのフィルムシミュレーションからニューカラーに近づけるなら、どれを使って、どんなカスタムをするのが良いか、試したりしました。

下の写真はそのときの一枚。
シャドウが重くて硬いけれど、ぱっと見て「ああ、ニューカラーが好きなんだな」という印象は受けると思います。
でも一枚ずつトーンを整えるのではなく、様々なシチュエーション(光、露出、被写体など)で、ニューカラーっぽさを醸し出すようにするって別次元の話です。フィルムシミュレーションってすごい!と、あらためて感じました。関心ばかりしているわけにいかないから、すぐ次の作業に取り掛かったけれど。

上のバナーになっている写真は、ショアのパロディで、ショアはFORDを撮っています。ぼくはTOYOTA。車の色はどちらも赤。これはクラシックネガなので赤がオレンジに寄っています。ざらついた感じというか、テクスチャは近いんじゃないでしょうか。

カラーグレーディングの実践について、すごくいい記事があって役立ちました。とくに「強い印象のためには十分なコントラストが必要だけれど、おそらくそれを怖がるだろう。露出設定があまりにシビアになってしまうから。でも・・・」というのは納得しました。
そのカラリストが、映画のトーンの理想形は写真に学ぶべきだと語っていて、でもその人の記事がぼくの写真に役立つというところ、プルースト的でもあり、面白い体験になりました。

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