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日々感じたこと

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日常生活を通じて気になったことについて
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#精神疾患

いつまでもくよくよするのはやめることにしました

名古屋地方裁判所平成26年8月7日 被告人は、浮気をしていたことが交際相手に発覚し、そのことで一方的に責められ続けたことに立腹し、同人の頸部を、殺意をもって締め付け、同人を窒息死させた事案。 殺人罪で懲役14年の判決を下した事例。 福岡地方裁判所平成25年7月12日 被告人が、妊娠中の妻を殺害し、心中を装った事案。 殺人罪で懲役16年に処した事例。 悪質な動機で人を殺めてもこれだけの刑で済む場合がある。 それに比べたら躁転のときに友人を罵倒したり、友人の恋人を奪っ

メンタルがどうにも弱い

 私はメンタルが弱い。それもかなり弱い部類に属するほうだと思う。ちなみに身体も弱くてはげしく咳き込んだだけで肋骨にひびが入ったことがある。  メンタルが強い弱いを分ける要素はいろいろとあると思うけどここではシビアな逆境に対する強さ弱さではなくて日常生活における様々な一見些細に見えることに対する強さ弱さについて書いてみたい。なんでこんなことを書きたくなったのかというと昨日もまた職場でしょーもないことでメンタルをやられたからである。  最初に書いたけど私は弱い。自分にとって望まし

自分の記事に思うこと

 ここ最近は双極症にまつわるエピソードというよりも自分の内面を書くことが増えてきた。読んでほしい対象も広く広範囲な方々ではなくていつも読んでくださっている狭い範囲の方々になってきているかもしれない。そのせいか最近は少し赤裸々に書きすぎているかもしれないと我ながら感じることがある。もしかしたら不快な思いをされている方もいるんじゃないかとか、なんだよこいつクソ◯ッチじゃねえかとか、ネガティブな気持ちにさせていたり引かれたりしているような気がして四六時中ずっとではないけどどうにもソ

どうにも最近調子が良すぎる

 気がつけばもう二ヶ月以上も軽躁が続いている。ドスンと意味不明な落ち方をして耐えきれないんじゃないかと思うぐらい希死念慮が出たときもあったけど基本的には毎日調子が良いほうじゃないかなと思う。きちんと通院しているし主治医にもこの症状を伝えているのだけどいきなりパーンってアゲアゲになってしまうんじゃないかと思ってびくびくしていたりもする。そんな私がいま怖れている躁の症状はこんな感じ 家族や同僚、SNS上での悪口や暴言 コメンテーター気取りになっていちいち上から偉そうにモノを言

バンドのおかげで更生できた思い出

 私は高校一年生の三学期から二年生の一学期の間だけ不良少女になった経験がある。短い期間だったから終身雇用の正規の不良ではなくていつ辞めるか分からない非正規の不良みたいな感じだった。でもとにかく放蕩の限りを尽くしたし父親を罵倒したり物を投げつけて家の中の物を壊したり、無免許で原付に乗ったり。  そんな風に不良少女絶賛進行中だった最中に親友からバンドを組んで文化祭に出ようと誘われた。そして私が頼まれたのはベースだった。ちなみにベースと言う楽器は低い音が出るギターである。アンサンブ

マグダラのマリアになりたいんだよ

 天使のような子って本当にいるんだなって思った。最近Instagramで親しくさせて頂いているフォロワーさんの方がいるんだけど、その方の親しくされているお二方のアカウントさんと知り合うことが出来た。お二方とも直接会ったわけではなくてinstaliveでお姿拝見アンドお声を聴かせていただいただけなんですが、ああなるほどこの子達はきっと天使だわって思った。ほんの僅かな言葉のやり取りだけしかしていなくてもこの子は天使だっていうことは分かる。私にはわかるんだよ。  苦しみの中から何か

生きることが過ちにたいするけじめなのかな

 つい先日、もしかしたら泣きながら書いたのかなって思うような記事を読んだ。涙はこぼれていなくても心はきっと泣いていたんじゃないかな。夜中だったしきっと抑えても抑えても溢れ出してきてしまって止まらなかったのかなって。もしかしたら酔ってたのかもしれないけど公開するのものすごい勇気がいったんじゃないかなって。その文章には同じ経験をしたことがある女なら痛いくらいに分かる気持ちがこもっていて、ひとつひとつの言葉が私の胸に突き刺って身体の中で鈍い痛みをともないながら疼きだしてどうしようも

君が受け取る愛は、君が与える愛に等しい

and in the end,the love you take,is equal to the love you make 結局のところ、君が受け取る愛は、君が与える愛に等しい (Sir James Paul McCartney) たぶんポールの言う通りなんだろう。 もし私があなたから充分に愛されていないと感じるならば、それはきっと私があなたに充分な愛を与えられていないということなんだろう。私が抱える孤独も、きっと私はいつも求めるばかりで何もしていないせいなんだろう。

改めまして100の質問をやってみた

 100の質問というものを半年ほど前にやったことがある。そのとき何かしら新しい自分との出会いがあるのではないだろうかとの期待があったのだが、これといって何の面白みも無い自分を再確認しただけで終わった。  そしてそれから半年が経った今もう一度チャレンジすることにした。何故かというと前回このチャレンジをしたときはフォロワーさんが10人しかいなかったのがいまは80人に増えていてスキをつけてくださる方やコメントをくださる方もそこそこ増えたので、開店当初からの馴染みの常連さんはともかく

人との距離のとり方がわからない

 私は人との距離のとり方が苦手だ。苦手というかわからないといったほうがいい。他人との距離感を掴むのがどうにも苦手だし下手だ。なんて同じような意味のことを違う言い回しで二回言ってみた。それぐらい距離感が苦手ということを言いたかった。  理由はだいたい見当がついている。ひとつは両親から虐待されて育ったこと。そしてもうひとつは子供のころ大人しくて友人がつくれなかったこと。たぶんこの二つのせいじゃないかなと思っている。  子供のころのことについては以前にも書いたことがある。  

毎朝きちんと起きることを成功体験にしてしまおう

 わたしが精神障がい者になってから五年になる。遡れば高校二年生のときにふた月ほど夜遊びにはまり込んだ時期があり、その数ヶ月後に二週間ほど鬱になる時期があったのでそのときから双極性障害だったのかも知れない。  新卒一年目の冬にあなたは精神障がい者になりましたと告知されたときは様々な感情が出口を見失い頭の中で渦を巻いてなにも考えることが出来なくなった。でもやがて自分が障がい者になったことを認めたくないと必死に足掻くようになり、その後は障がい者になったことを認めざるを得なくなって

おすすめ記事を見るようになって気づいたんですけど

 おすすめ記事をよく見るようになってから気になったことがある。それは人が書いた記事をクソ記事と呼んだり、書いた人をエセクリエーターと呼んだりして貶す人が二人や三人ではないということだ。しかもフォロワー数やスキの数が多いクリエーターがそういう人達の中にいたりする。  どうやら一見して自己満足で書かれている記事やスキを貰えない記事は価値がない記事だということらしい。うーん、参ったと思った。その理屈でいくとわたしの記事はほぼすべてがクソ記事認定されてしまう。  それは仕方がない

書きたいこと、伝えたいこと

 令和六年二月十七日 土曜日 晴れ/曇り  最近は障がいのことについていろいろと吐き出したい気持ちでいる。とくに理由はなくて、ときどきこういう気分になるという、ただそれだけのことだ。  障がいのことについて書くのってわたしには難しい。書きたいことはいろいろあっても、なにをどう伝えたいのかを整理するのが難しい。伝えたいことが多いから、テーマを絞りきれなかったり、絞れたとしてもすぐに横道にそれたり、いろいろと詰め込みすぎてしまい支離滅裂になってしまったり。文章のあたまと終わり

noteを始めたこの半年間を振り返ってみた

令和六年一月二十五日 木曜日 晴れ  noteに何かを気ままに書くようになってから半年が経った。そして、この半年間に書いた文章の数はボツも含めると四十を超えた。何事も三日坊主の私なのにこれはよく続いたなと思うし、たいして面白くも無いし役にも立たないようなことを、よくもまあこれだけの数だけ吐き出せたなと思う。だから文章の質はとりあえず置いておくとして、書き続けることが出来たということに関しては、自分を褒めてやろうと思う。  そして半年間続けることが出来たのは、スキの数を気に