幸乃と浪曲8

前回の話はこちら↓


たくさん舞台に挑戦したい。そのためにはネタの数も増やさなくてはいけません。昔から記憶力に自信がなく、学生時代も地理・歴史などの暗記系は大の苦手。客席で聴くたびに「こんな長い話をよく覚えられるなぁ」と思っていました。

とにかくなにか新しいネタを覚えよう。
入門前はよく落語を見に行っていたので、関東では入門したばかりの落語家さんは「たらちね」「牛ほめ」等、短めの定番ネタから覚えていくということは知っていました。しかし浪曲の場合は大抵一席が三十分前後。師匠方の十八番ネタが大ネタだということはわかるのですが、新人が覚える軽いネタというものが存在するのか、いまいちわかりません。
浪曲は節でそれぞれの個性を出しますが、せっかく幸枝若一門に入ったのだから幸枝若節、幸枝節を覚えたい。そうなるとやはりまずは師匠や先代のネタを聴いて覚えることになります。師匠に相談してみると、どんなネタを覚えるにしても自分の気に入った話でないとなかなか覚えられないと教えてくれました。そして「俺が若い頃よくやってた弁慶と牛若丸の話はどうや?」と、福太郎時代の貴重なカセットテープを貸してもらいました。カセットケースのインデックスカードにはボールペンで「橋弁●けい」と書かれていました。橋弁慶と書きたかったけど慶の字を間違えたから黒く塗りつぶして、とりあえずひらがなで書いとこ、という経緯に違いありません。当時の師匠の様子を思い浮かべて胸が熱くなります。
まずテープをパソコンで聴けるように機械でデータ化し、繰り返し再生しました。すると今度は聴けば聴くほど細かい部分が気になり始めます。
「ナレーションは自分の言葉で説明する部分だから、関東出身の私が音源のまま関西弁で喋ったらおかしいのでは?」など関西弁特有の言い回しやリズム、イントネーションの違いについて考え込んで、なかなか先に進めずにいました。
悩みに悩んでたくさん師匠に質問すると「お前は理屈っぽい。聞き手に意味が伝われば良いんや」と言われました。このシンプルなアドバイスが当時の私にはきちんと理解できずに落ち込みました。
そして数年経ってやっとわかってきたのですが「関東出身者が関西弁を話すべきか」などは大した問題ではなく「聞き手が自然と物語に入り込めるかどうか、心を動かせるかどうか」がまず最初の大事なポイントであり、それができていない状態では関東弁に変えたところで何にもならないのです。当時の私は「どうせ一から覚えるのだから、初めから言葉を関東弁に変えておいた方が後々良いだろう」と信じて疑わず、一生懸命のポイントがずれていることにも気づけませんでした。
他にも師匠からたくさんのことを教わりました。「新人のうちはとにかく大きな声を出して一生懸命やらなくちゃいけない。大きな声を出すことで少しずつ浪曲の声になっていくし、小さい声では小さい芸になってしまう。お客様は新人の浪曲を楽しむために足を運んでくれるのではない。良い浪曲を楽しみたいならベテランの芸を見に行くだろう。下手な浪曲でも一生懸命がんばっている姿を見に来てくれている。」
今も繰り返し教わっていることですが、とても大事なことだと心に刻んでいます。応援してくださるお客様に感謝の気持ちを忘れずに、一回一回の舞台に挑もうと改めて思うのでした。

<次回へ続く>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?