幸乃と浪曲7

前回の話はこちら↓


たくさん稽古をしても本番では緊張して稽古の通りにはいかない。慣れることが必要だ。そう考えて、なるべくたくさん舞台に出たいと思うようになりました。
浪曲親友協会の協会員になれるタイミングは毎年六月に行う総会の時と決まっていたため、それまでは一心寺門前浪曲寄席には出られません。一月に初舞台が終わって、次の舞台はまだまだ先だなぁと思っていると、師匠が「三人で勉強会をやったらどうや」と言ってくれました。幸太兄さんと、若菜姉さんと私が一人一席ずつ浪曲をして、トークコーナーも入れようという話になりました。私のような新人も出演する小さな勉強会なのでほとんど利益は出ませんが、初月師匠は三人の曲師を快く引き受けてくれました。さらに、東京で勉強会をするための旅費や会場費にするため、全員出演料をなしにして、利益をそのまま貯金しようということになったのでした。
勉強会の名前を師匠が「浪曲 参金交代」とつけてくれました。「参勤交代」の「勤」の字を「金」に変えて、三人の金の卵が交代で出演しますという意味とのことでした。覚えやすく、期待が込められているようで嬉しかったです。会場は塚本にある二十四席程で満員という小さな会場「横っちょ座」をお借りして開催することになりました。ありがたいことに、会場を貸してくださる方がチラシの作成や予約の対応などもしてくれました。この会をきっかけに私もバザーを手伝いに行ったり、稽古場として会場をお借りしたり、何かとお世話になりました。大阪に引っ越して以来、浪曲以外の人と接する機会はほとんどなかったのですが、塚本の皆さんに優しく接してもらい地域の繋がりや人の温かさを感じました。
塚本での「参金交代」は三カ月に一度なので、他の場所でもやってみようということになり、当時谷町九丁目にあった「ライブ喫茶亀」という会場でも開催することにしました。事務的なことは全部自分たちでやる必要があったので、デザインセンスなどはありませんが自分で一生懸命チラシを作ったり、予約用のメールアドレスを作ったり、初めてのことばかりでいろいろ試行錯誤しました。大変でしたが、とても勉強になりました。
この頃はアルバイトもしていました。梅田のJRAの向いにあるビルで、テレアポのお仕事です。地域別の電話番号リストがあり、そこに一軒ずつひたすら電話をかけて、排水溝掃除の営業をするのです。悪徳業者ではないと思いますが(たぶん)勝手に知らない会社から電話がかかってきたら嫌だよなぁと思いながらやっていたので、仕事中は憂鬱でした。生活のためではあるけれど、お金を稼ぐというのは本当に大変なことだよなぁと改めて実感していました。難しいこととはわかっているけど、浪曲だけして生きたい。私は入門が遅いし記憶力も悪いのだから、他の人の何倍も努力しなくちゃいけない。バイトしている時間も稽古に充てなくては、先輩方との差が広がる一方だろうと焦っていました。そして週3日の勤務が週2日になり、6時間から4時間、3時間と減っていって、4月頃には完全に辞めてしまいました。もちろん家賃は払わなくちゃいけませんが、とりあえず貯金を使って、本当にどうしようもなくなった時にはまたバイトを始めれば良いんだと言い聞かせ、それから浪曲とひたすら向き合う日々が始まりました。

<次回へ続く>

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