幸乃と浪曲6

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2019年1月26日、いよいよ私の初舞台の日がやってきました。

師匠も心配してくれて観に来てくれることになり(余計緊張しましたが)、師匠と初月師匠、そして私も車に同乗させてもらって大阪から兵庫県加古川市の会場へ向かいました。
途中サービスエリアで休憩し、何か食べるかと聞いてもらったのですが緊張しすぎて何も食べる気になれず、コーヒーだけ飲ませてもらいました。
本番のイメージトレーニングをする気持ちの余裕もなく、妙にぼんやりしていました。今思うとあれは頭が真っ白という状態でした。
会場に着いてご挨拶をしたり、椅子や机を動かしたり、演台やテーブル掛け、マイクの音量チェックなども済ませ、だんだんと開演時間が近づいてきます。外では少し雪も降ってきました。
浪曲なので当然着物を着るのですが、きちんと人前で着るのは初めてでした。というのも、私は舞台で男物の着物を着ることにしたのです。
他の芸界、例えば女流義太夫は男性の紋付袴に裃もつけていますし、落語でも女性の落語家さんが男性の着物を着たりします。でも浪曲界の女性は皆さん女性ものの着物を着ています。
周りから浮いてしまうと言われましたが「師匠のような浪曲師になりたい」という思いから、少しでも師匠の真似をするべく男性用の着物を着たいと、無理を言ってお願いしました。私が憧れる浪曲は師匠の節、師匠の語るネタです。話の登場人物も男性ばかりなので、やはり男性ものの着物の方が仕草もやりやすいですし、いつも師匠の着付けのお手伝いをしているので着る手順も頭に入っています。
心臓はバクバク鳴っていましたが何故か余裕のあるふりをしながら、楽屋へ行って着替えてみるも、袴の紐の結び方がわからずオロオロ。幸太兄さんに助けを求めると、優しく結んでくれました。手のかかる妹弟子です。

開演時間になり、会場入口で深呼吸。中を覗くと、妹や東京の知り合いが何人も来てくれていました。知っているお顔を見てホッとするかと思いきや、そんなことはなく、せっかく遠くから来てくれるのにもし失敗したら…と心臓のビートは最高潮に達していました。
まず幸太兄さんが先に出て「急遽、妹弟子の幸乃さんが前座で出ることになりました。今日が初舞台です」と紹介してくれました。開始の合図である拍子木も、会場の入口で師匠が叩いてくれました。がんばってこい!と背中を押してもらってるような感じがしました。
入口から勢いよく飛び出し、演台の前でお辞儀。たどたどしい挨拶と自己紹介を言うだけで息切れ。そして浪曲「雷電と八角」の冒頭の節に入りました。

〽櫓太鼓はどこで鳴る~五丈三尺空で鳴る~


緊張したら必死に集中するものかと思っていましたが、違いました。
口では浪曲を喋っているものの、頭の中では(さっきの挨拶失敗だったかな…どうでもいいことを長く喋っちゃったなぁ…これが終わったら次はどうするんだっけ…)など全然関係ないことばかり考え、緊張しすぎて現実逃避をしていました。「雑念」というやつですね。恐ろしい。
日々、SNSをチェックしながら食事したり、ラジオを聴きながら掃除をしたり、常にマルチタスクで生活している弊害かもしれません。
おかげで自分がどこまで喋っているのかもよくわからなくなって、一瞬我に返って詰まったりしました。
それでもなんとか持ち直し、全部出し切るぞ!という気持ちでどうにか最後までやり切りました。

着替えて、兄弟子の舞台の手伝いをして、終演後。
帰っていくお客様方に「ありがとうございました!」と大きな声で挨拶し(下手な浪曲聞かせちゃってごめんなさい)という反省の気持ちから深くお辞儀をしてお見送りをしました。
お客様からは「がんばってね」とたくさん温かい言葉をかけていただきました。遠方から来てくれた友人たちは「生き生きしてて楽しそうだったよ」と言ってくれました。「感動した」と言ってくれた友人もいました。
嬉しかったです。私の必死具合を見て、今まで少し漏らしていた修行中の愚痴なども思い出してくれたんだと思います。そして次は私の姿ではなく、浪曲の物語に感動してもらえるようにならなくちゃと思いました。

入門前からもちろんわかっていたことですが、浪曲で生活費を稼いで暮らすというのは簡単なことではありません。
それでも自分が心から挑戦したいことを仕事にできるというのは幸せなことだなぁと実感しました。
そう実感できるのも、聴いてくださるお客様あってこそです。ありがたや、ありがたや。お客様は神様ってこういうことか、と思いました。

生の舞台を終えて、全然稽古のようにはいかないということがわかり、ショックを受けました。
そして「百回の稽古より一回の舞台」を胸に、できるだけ多くの舞台を経験するにはどうしたらいいか?と考えるようになりました。


<次回へ続く>

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