幸乃と浪曲5

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2018年9月27日、晴れて師匠幸枝若に入門した私ですが、初舞台はすぐには決まりませんでした。

関西浪曲師の拠点、浪曲親友協会の「一心寺門前浪曲寄席」は協会員が出演する寄席です。
しかし、協会に入会するためには毎年6月の総会に出席する必要があります。私が入門したのは9月。つまり翌年の6月にならないと協会員にはなれなかったのです。
「まだ正式な協会員ではないけど会長の弟子」という変な立場で、入門後すぐにお手伝いに行かせてもらいました。会場である一心寺南会所は1階を会場、2階を楽屋として使っています。
1階の奥に浪曲用の演台を出し、客席の椅子を並べ、入口には出演者ののぼりを立てます。2階は広い小上がりの畳敷きで大部屋の楽屋という雰囲気。そこで着物を畳んだり、お茶をいれたり様々な雑務をして、開演後は舞台を見て勉強しながら、アナウンスをしたり拍子木を打ったり、舞台転換(テーブル掛けの交換)をします。
最初はわからないことばかりで、協会員じゃない私は楽屋には居づらく緊張のあまりストレスも凄かったので、主に1階受付の手伝いをすることにしました。

この時期、ちょうど協会の転換期でした。
協会の事務所のある建物が老朽化のため改修工事が決まり、別の場所に移転することになりました。長年協会の事務を勤めていた中田さんも引退宣言をされ、代わりの事務員さんが見つかるまでの間は急遽若手を中心に事務作業をすることになりました。中田さんはずっとアナログで様々な管理をされていたのですが、今後はいろんな人が管理できるようにデジタルに移行しましょうと言うことになり、パソコンも導入されました。私は以前、会計事務所の職員をしていたため、経理の引継ぎや様々なパソコン作業を引き受けました。
楽屋にいるときは「どの師匠から順番にお茶をお出しするべきか…」など考え込んで一人で焦るタイプの私にとっては、役に立たないはずの自分が事務作業で少しでも協会の役に立てているということが嬉しく、そのうち、師匠方から「いつもありがとうね」と声を掛けていただくことも多くなり、徐々に、自分もここに居ていいんだという自信を持てるようになりました。

そんなある日、兄弟子の幸太兄さんが声をかけてくれました。

「1月に加古川で自分の会をやるんですが、よかったら前座で出ますか」

加古川の会は、幸太兄さんが地元で定期的に開催しているアットホームな会で、私も手伝いに行ったことがあり、雰囲気も良くわかっていました。師匠に相談すると「よかったなぁ」と言ってくれたので「では、ぜひよろしくお願いします!」ということで、私の初舞台の場所は兵庫県加古川市と決まりました。チラシはすでに完成されていたため私の名前は載ることはなかったのですが、師匠に許可をもらってツイッターのアカウントを開設し、浪曲師京山幸乃の初舞台の情報を掲載しました。

すると、以前関東で演芸を見ているときに知り合った方々から「見に行きます」とメッセージが…!

まさか関東から兵庫県にわざわざ私の初舞台を見に来てくれるとは…。すごく嬉しい反面、すごくプレッシャーでした。一生懸命稽古してもなかなか上達せず。寝ようとして深夜布団の中で「せっかくだから浪曲をする前に少し挨拶もしたい。でも何を話そうか。必要な持ち物は揃っているか。浪曲の途中で頭が真っ白になってしまったらどうしよう」など考え込んでしまい寝付けない日々、それでも初舞台の日は迫ってくるのでした。

<次回へ続く>

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