幸乃と浪曲4

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入門の仕方は人それぞれ違うのですが、私の場合は入門テストに合格することが条件でした。テストの内容は、好きな浪曲三席を覚えてから、師匠、曲師の初月師匠、兄弟子、姉弟子がいる前で三席聴いてもらい、全員のOKが出れば合格となります。(姉弟子の入門時からそういう流れになったみたいです。)

約30分の浪曲を三席覚えるというのは、記憶力の悪い私にとってなかなか大変な作業でした。なぜ三席かというと、浪曲親友協会の一心寺門前浪曲寄席では三日間とも違う演題を口演する必要があるからです。そこにいつでも出演できることが、師匠の考えるスタートラインなのでした。

とにかく一つずつネタを覚えていきましたが、入門志願から1年近くかかりました。
人によっては、入門志願にきたら面談して、問題なければすぐ弟子にとるという方針の方もいます。例えば、昨日他の門下へ志願した方が、何ヵ月も前に入門志願している私より先に入門するということがあるのです。浪曲界では一日でも早く入門した方が先輩です。「他の一門に新しいお弟子さんが入った」という噂を聞く度に焦りました。今となっては、後輩の方がなにかと楽だわ~位の気持ちですが、当時は本当に浪曲師になれるかもわからないし、不安と焦りでマイナス思考になってしまい辛い日々でした。

ネタを覚えるために師匠や先代幸枝若の音源を聴きましたが、そのままの調子(キー)では低すぎて声に合わないと言われて、半音で6~7くらい高くすることになりました。(カラオケのキーを上げるような感じです。)
しかし元の音源とあまりに違うため混乱してうまくいきません。パソコンで音楽ソフトをダウンロードしてキーを高く変更してみるも、台詞の声まで高くなってロボットみたいな声になったりして、いろいろ試行錯誤しました。

なんとか三席覚えて入門テスト当日、時間貸しの音楽練習室で兄弟子と姉弟子のお稽古があり、そのときにテストをしてもらうことになりました。
緊張して、水を飲んでもすぐ喉が乾きます。目の前の兄弟子や姉弟子のお稽古内容を聞く余裕もなく、頭の中で覚えたネタを必死に繰り返しました。

いよいよテスト開始。一席目は「雷電と八角」緊張のあまり声が震えて、啖呵も噛みましたが途中で止めるわけにもいきません。二席目の「大井川乗り切り」も口は勝手に喋っているのですが頭の中は真っ白という感じで、節も練習と全然違うものになってしまい手にすごい量の汗をかきました。そして三席目の「恨みの戸田川」でついに途中で言葉に詰まってしまいました。全身の血の気がサーッと引いて(あ、もうだめだ…)と諦めそうになったとき初月師匠が、がんばれ!と背中を押すようにお三味線を強く弾き続けてくれました。(ニュアンス的には「しっかりやらんかい!」かもしれません。)
その後は、続きを思い出したのか、飛ばして先に行ったのかよく覚えていませんがボロボロになりながらもどうにか最後までやりきりました。

三席終えて、合否を決めるから一旦部屋から出ているようにと言われました。

長い廊下を歩いてトイレに向かいながら、当然不合格だろうと思いました。緊張のあまり全然練習通りにできなかったし、こんな状態でお客様にお見せするのは失礼だと自分が一番わかっていました。手洗い場で冷たい水に両手を浸して、戻ると練習室の入口で姉弟子が待っていて部屋の中に呼んでくれました。中に入ると、少し空気が重く感じました。みんな何も言わず下を向いていて目を合わせないようにしています。
沈黙の後、師匠が

「残念ですが………合格です」

そう言った瞬間みんな笑っていましたが、私だけはポカーンとしていました。

合格??なぜ?だいぶおまけしてくれた?残念ですがって言ってたけど合格は残念なの?どういうこと?
真面目に色々考えてましたが、みんなで不合格みたいな演技してやろうということだったそうで、実際は全員OKしてくれたとのことでした。

正直かなりおまけ合格だったので、本当にいいのだろうか…と心配になり全然素直に喜べませんでした。師匠からは、今のままじゃまだまだ舞台には立てない、だからそれまでに一生懸命稽古するようにと言われて、やっと、じんわりと実感してきました。そして師匠が「ここへ来るまでの車の中で考えたんやけど、名前は、幸せに乃という字で幸乃はどうや」と言ってくれました。ここに来るまでの15分で適当に考えたというのは本当かもしれないし、照れて言った冗談かもしれないし、真実はわかりませんが、自分のためにつけてくれた名前というのがこれほど嬉しいものとは思いませんでした。
こうして2018年9月27日に浪曲師 京山幸乃が誕生しました。

<次回へ続く>

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