幸乃と浪曲3

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2017年11月木馬亭の出口にて師匠幸枝若に入門志願をした私でしたが、そのとき師匠に「少し待ってて」と言われて緊張しながら待っていると、5分程して師匠が戻ってきて「浪曲教室の見学に来るならまた連絡してください」と名刺をくれました。

お礼を言って木馬亭を離れた後じっくり名刺を見てみると、裏には手書きで師匠の電話番号が書いてありました。急いで書いたからか正直かなり読みにくい筆跡でしたが、それがむしろ自分のために書かれたものという感じがして嬉しくて仕方ありませんでした。同時に、想いを伝えるのに必死で自分の名前すら伝えていなかったことに気付き、失礼なことをしてしまった…と、がっかりしました。

そして見学どころかどうにか弟子になりたいと思っていた私は、後先考えずすぐに大阪に引っ越ししてしまおうと決心しました。知人から受けた「その方が断りづらくなるんじゃないか」という冗談のようなアドバイスを、なるほど!と真に受けていましたが、今思うとすごく迷惑な話です。私が師匠だったらそんなやつが勝手に近所に引っ越して来たら最悪だなと思います。なんて懐の深い師匠でしょう。

一人暮らしも初めてのことでしたが、不動産系の仕事をしている友人に相談し、師匠の名刺にかかれた住所から徒歩15分程の、駅前の小さなワンルームを借りることにしました。

そして翌月には吹田の不動産屋さんで契約をし、その足で浪曲教室の見学へ。

その日は出席人数が少なかったようで師匠から「最後少し時間が余ったので、何か一節声を出してみますか?無理ならええけど」と言われました。

師匠や曲師の岡本貞子師匠、一風亭初月師匠、そして長年お教室で学んでいる先輩方の前で聞いてもらうのかと思うと心臓バクバクで口から出るかと思いましたが、プロになりたいんだからここで断ったら絶対にだめだ!と思い、やらせてもらうことにしました。

「で、では、師匠のCDをいつも聞いておりますのでその、大井川乗り切りの外題付けを…」というと「え?」と言われ、しまった!失礼だったかなと変な汗がたくさん出てきました。後から知ったのですが、関東の浪曲師さんのお教室では浪曲の最初の節のことを「外題付け」というと教わったのですが、関西の浪曲師は「まくら」と言うのだそうです。それで話が噛み合わず慌てましたが、深呼吸する間もなく初月師匠が弾きはじめてくれたので、とにかく大きな声でうろ覚えの節をしどろもどろになりながら披露しました。自分でもあまりに下手すぎてびっくりし、師匠からも何の感想もありませんでした。その日は梅田から出る東京駅行きの夜行バスで帰る予定だったのですが、梅田の長距離バス乗場で22時発のバスを待ちながら、12月の寒空の中肉まんを食べて、綺麗な月をぼんやり見上げて悔し泣きしたことを今でも覚えています。

その日、ツイッターに一句投稿していたのを発見しました。
「後悔を 肉まんとともに流し込む バス待つ冬の 遠い遠い月」

心底ダサいと思います。

数日後、スーツケースに数日分の服など詰め込んで、ネットで夜行バスの切符を買いました。夜行バスで引っ越しというのは貧乏芸人の幕開けには最高だなと思いました。出発直前にはゴールデン街の春陽先生のいるバーに行って挨拶し、友人のさっちゃんとすみちゃんと合流し、二人に高速バス乗り場まで見送りにきてもらって、旅に出るようなわくわくした気分で出発しました。

何も無い部屋に着いて、安い冷蔵庫や洗濯機を注文しては設置し、布団が届くまでは床に段ボールを敷いて寝たり、照明がなくて困って近所のイオンに買いに走ったものの踏み台になるものがなくて取り付けられなかったり、普通の会社員から一転、貧乏学生のような生活になりましたが、それでも全然苦には感じませんでした。そして、何度か教室に通ううちに師匠から「とにかく何でもええから浪曲三席覚えや、そしたら入門のテストするからな」と言ってもらいました。

それから教室の日以外は、アルバイトに行ったり、それ以外の時間はできるたけジャンカラに行って声を出して、必死に三席覚えるのでした。

そしていよいよ入門テストの日がやってきます。
 <次回へ続く>


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