幸乃と浪曲9

前回までの話はこちら↓


師匠から「大きな声で」と教わったときに、ふと思い出したのは、私が以前通っていた講談教室のことでした。

師匠の浪曲に出会う前の私は、仕事の後は毎日のように落語会に通っていました。そのうちに「渋谷らくご」という若者向けの落語会ができて、そこで神田松之丞さん(現在の神田伯山先生)の講談を初めて聴きました。とにかく熱く引力の強い話術に惹かれて、松之丞さんの出演するいろんな会に行くようになりました。そのうちに松之丞さんの師匠である松鯉先生が上野広小路亭という演芸場の上の階で講談教室を開催していると知りました。見学に行くと、生徒の方々は大学の先生だったりアナウンサーだったり知的な雰囲気の方が多く、皆さん台本をしっかり覚えて真剣に取り組んでおられました。私も早速生徒の一員になり、そこで松鯉先生から一番初めに習った基本が「ゆっくり・はっきり・大きな声で」でした。向かいのビルに届くくらい大きな声で読みなさいと教わりました。初めは「三方ヶ原」という基本の軍記物の台本を読みました。シーンとしている中で一人ずつ読んでいき、緊張で冷や汗をかいた後は先生を囲んでみんなで居酒屋へ。先輩方から「初めてとは思えないよ」なんて褒めていただいて舞い上がって、毎月2回の緊張と緩和の時間が楽しみになりました。
松鯉先生は「一番好きなのはやっぱりお酒ですな」と仰っていて、それは酒類全般のことではなく日本酒の意味で「お酒」と言っていて、それがなんだか渋くてかっこいいなぁと思っていました。2年ほど通って発表会にも出ました。先生が寄席のトリをとるときは仕事帰りにも駆け付けました。なるべく前の方の席に座ってしっかり目に焼き付けて、聴きながら号泣したこともありました。講談を聴く楽しさも、自分で読むことの難しさも知ることができて、楽しい日々でした。しかし私はその後師匠幸枝若の浪曲に出会い、節の魅力を知り、プロの浪曲師になりたいと思うようになりました。大阪に行こうと決心してから、松鯉先生になんとお伝えすべきか悩みました。素人のお教室とはいえプロの先生から貴重な話術を教わっているにも関わらず、辞めて別のジャンルに入門しようとしていますとは、なんだか申し訳なくて言い出しづらかったのです。しかしもう決めたことだから仕方がないと、思い切って伝えることにしました。「じつは、大阪に行って浪曲師になりたいと思っています」そう言うと松鯉先生は「そうか、あなたは講釈師になると思っていたよ。浪曲か、恵子ちゃんと同じだな」
話を聞くと、春野恵子師匠も松鯉先生のお教室に通っていたことがあり、私とまったく同じことを言ったということでした。
そして年末にお教室を辞めて引っ越すことになりましたが、お教室の忘年会のときに、なんと私の壮行会もしてくださいました。同時期にお教室に入ったMさんが、松鯉先生と私にそれぞれ黒のベレー帽をプレゼントしてくれて、一緒に帽子を被って写真を撮ってもらいました。松鯉先生からは「風姿花伝」という本をいただきました。世阿弥が書いた能についての本で、プロの芸人になる上での心構えや、迷ったときに読むべき原点が書いてあるとのことでした。この文庫本は大阪に行くときの荷物に必ず入れようと決めました。松鯉先生に「大阪で辛いこともあるかもしれないけど、一人前になるまでは絶対に東京に帰って来ちゃいけないよ」そう言われて少し胸がキュッと締め付けられるようでしたが、続けて先生は「いつかゲストに出てやるよ」と温かい笑顔で言ってくださいました。この約束をいつか実現したいと、今日まで私の心の支えになっています。先生はもう忘れているかもしれないけど。
大阪に来て、入門が叶ったことを電話で報告すると「恵子ちゃんに電話しておいたから。あなたと同じことを言ってきた子がいて、そっちに行ったからよろしく頼むよって。それにしても、俺の所から二人も浪曲師になるなんてな、大阪の浪曲協会から表彰してほしいくらいだよ」そう言って笑っていました。先生は2019年に重要無形文化財に認定されました。いわゆる人間国宝です。そのニュースを大阪で聞き、感動しました。講談の入門志願者も増え、お弟子さんもさらに増えて、お教室も若い生徒さんがたくさん来て、生徒数も2倍になったため2回に分けて実施することになったそうです。いつか、先生と同じ舞台に立てるようにもっともっとがんばろう、そう思える私の大切な思い出です。

<次回に続く>

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