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祖父と父の餃子

我が家では、餃子を最低でも100個包む。
4人家族で100個。
多いときには120個を。
わたしの作る餃子は、祖父と父の餃子。

戦争中、祖父は満州で仕事をしていた。
軍人ではなかったが。
もちろん、子どもである私の父、その弟、そしてかの地で亡くなった祖母も一緒であった。
祖母が亡くなってからは、祖父が炊事をしていてよく餃子を作っていたと、父から聞いた。
さらには、あちらでは水餃子しか食べないのだとも聞いた。
今わたしたちが食べている、所謂「焼き餃子」はなかった、と。
だから、わたしが子どもの頃は餃子といえば、「水餃子」だった。
母も作ってくれたが、父もたまには作っていたのだと思う。

そして、これは祖父から聞いたのだけれど、「餃子にニンニクは入れない」そうだ。
わたしは、餃子には必ずニンニクが入っているものだと思っていたが、祖父はキッパリとして「入れない」と言った。
父もそう言う。
その代わり、ニラをこれでもかと沢山入れる。
外食で餃子を食べるとニンニクが入っているものが多いようで、やはりニラだけのものとは違う。
「好き、嫌い」、とはまた別のボタンがあって、それを押してしまう。
「違う」、というボタンを。
長年舌に馴染んだ味がなせる業だろう。
餃子=ニラの方程式が出来上がってしまっている。

そして月日は流れ、祖父と父の水餃子に新しい調理法が加わった。
母の登場によって。
母は、ある日餃子をフライパンで焼いた。
しかも、焼いただけではなく醤油をからめて味付けをした。
水餃子という、ちょっとオトナめいた食べ方しか知らなかった子どもは大喜びだ。
子どもがパクパク食べるからか、それとも父のお酒のアテによかったからか、以後は炒め餃子の醤油味(?)が我が家では普通に食べられることとなった。

そこから月日はまたも流れ…
わたしも焼き餃子の何たるかを知り、そのうち我が家でも焼き餃子が炒め餃子に取って代わられた。
そして、結婚。
結婚すると、相手の食習慣にビックリすることがあるが、わたしはそれを餃子で知った。
なんと、夫は餃子を「ジンギスカンのたれ」で食べる。
もう一度言うが、「ジンギスカンのたれ」である。
ビックリというか、驚愕した。
わたしも夫も北海道の人間であるが、これは…やりすぎだろう。
けれど不思議なことに、わたしも夫に付き合ってジンギスカンのたれで餃子を食べるようになってしまった。

と、ここまでで祖父が満州で餃子を作っていた頃からざっと50年近くが経っている。
50年のうちに、餃子の食べ方がこうも変わるのだ。
そしてもう少しすると、わたしはジンギスカン味の餃子に飽きてくる。
やはり、ジンギスカンのたれはジンギスカンのためにあって、餃子のためではないのではなかろうか?
一度そう思うと、舌がもうダメである。
そしてわたしは、テレビで偶然見た、「酢とコショウ」で食べる、というのをやってみた。
これ!これ、これ、これ!!
そうなると、今までニンニクは入れてはいなかったが、それ以外はけっこうテキトーな材料で作っていた餃子も、酢とコショウに合うように作るようになる。
そこでわたしが入れたのが、大量のショウガである。

ここで思い出していただきたいのは、作る餃子の数である。
最低100。
刻む材料の量もハンパないのである。
大迫半端ないって、である。
そうこうするうちに、餃子には何が必要で、何がいらないかも考えるようになる。
というか、考えざるを得なくなる。
刻む量が、ね…
結果的に、わたしの作る餃子は、粗びきの豚ひき肉、大量のニラ、大量のショウガ、しいたけ適宜、となる。
ところが、これで完成したと思いきや、またもや別バージョンと言うか、進化バージョンが。
あの母である。

母は、60歳から調理師の専門学校へ行った強者である。
その母が作るものは、まぁたいてい大きい。
北海道民食のザンギは、わたしの夫は「げんこつザンギ」という。
冗談ではなく、本当だ。
パンも焼くのだが、これもまた大きくて、あんぱんなのに大きさはブールである。
ブールとはフランスパンの一種で、平均は15センチくらい。
直径15センチのあんぱんである。
それが普通である。恐ろしい。
で、餃子の話に戻るが、母曰く「餃子のお肉は、豚肉をたたいたものが美味しい」と。
そう!わたしもチラっと思ってたー!
なので、粗びきのひき肉を使っていたのだが、上には上がいるもので、それが母だった、
そうかー、肉をたたくのかー。
工程が増える。
増えるので、現在は考え中だ。

さぁ、こうしてわたしの、いや我が家の餃子は固まりつつある。
祖父と父の水餃子は、ニラ。
わたしの焼き餃子は、ニラとショウガ。
内容は少し違ってきているし調理法も変わったけれど、それが祖父から父、そしてわたしを繋いできた80年を思わせる。
日本を遠く離れて戦時中に妻(父にとっては母)を亡くし、命からがら三人で日本に帰ってきて苦労に苦労を重ねた祖父たち。
それでもなんとか頑張って、家族を作り年月を重ねていく。
祖父は亡くなったけれど、祖父の餃子は健在である。
ちょっと進化して。
それは、祖父の餃子であり、父の餃子であり、母の餃子であり、そしてわたしの餃子である。

餃子、ばんざい。ありがとう。


#餃子がすき

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