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幸の罪という名前

僕の名前は幸野つみです。

ゆきのつみと読みます。

この名前は本名ではありません。
今から3年程前、2016年9月頃に自分で考えたものです。

今回は「幸野つみ」という名前の意味について書きたいと思います。

僕が心に抱える『痛み』のお話です。

最初にお伝えしておきます。
これを投稿する不安は大きいですが、心の調子は特にいつもと変わりありませんので、そこは心配いりません。

「石狩あいロード」を投稿したこの機会に、自分の『痛み』について、向き合って、書きたいと思ったのです。
作品に背中を押してもらって、勇気を出して投稿したいと思ったのです。

この文章を読むと、僕のことを「つみさん」と呼ぶのをためらわれる方がいらっしゃるかもしれませんが、今ではこの名前をとても気に入っており、皆さんに「つみさん」と呼んでもらえる関係を築けたことを嬉しく思っています。
どうか今まで通り「つみさん」など、お好きに呼んでいただければと思います。


1つめ 好きな言葉

「ゆき」という言葉が好きです。
響きが好きです。
冬に降る雪も好きです。
自分と関わりの深い方の名前が「ゆき」です。
そして「幸」という字を「ゆき」と読むのも好きです。

僕が大好きなマンガ「プラネテス」「ヴィンランドサガ」の作者「幸村誠(ゆきむらまこと)」さんの名前を知った時から、「幸」を「ゆき」と読むのが好きになりました。

また、「幸野つみ」という名前を考えた2016年の大河ドラマ「真田丸」の主人公「真田幸村」の名前も魅力的で、それにも影響を受けています。



2つめ 北国らしさ

名前に北海道らしさを入れたいと思いました。

なので他の候補には「北野」という苗字も考えていました。

「幸野つみ」には、実は「雪の積み」という意味が込められています。

雪の積み重なる様子、これは僕の心の原風景なのです。



3つめ 幸の罪

さて、ここからが本題です。

幸野つみ

変な名前ですよね。

「つみ」という言葉にいいイメージがありません。

「幸の詰み」
これだと、将棋の「詰み」のようなイメージで、幸せがもう行き詰まってしまったような気がします。

「幸の摘み」
幸せを摘んで歩く、というとまだいいかもしれませんが、幸せの芽を摘み取る、というようなイメージも連想してしまいます。

そして「幸の罪」

幸せの罪。


原風景

原風景、と聞いてどんな景色を思い浮かべますか?

原風景とは、心の中にある風景。
例えば、故郷の昔ながらの自然溢れる風景。
例えば、幼少期に過ごした家屋や校舎の風景。
例えば、実在はしない、心の様子を反映した、心象風景。

僕の場合は、前が見えない程の大雪、ホワイトアウトの夜の風景。
目も開けていられない程に顔に吹き付ける雪。
鼻も耳ももげそうなくらいに痛み、濡れた顔面は冷たさで痺れる。家も車も木も地面もどこもかしこも真っ白で、一歩ごとに深く積もった雪に足を取られて歩くこともままならない。
帰るべき家はどこだろう。どこへ向かえばいいんだろう。孤独が胸を襲う。
それが、目を閉じれば思い浮かぶ、僕の心の中にある、原風景。
それは、幼少期を過ごした故郷、北海道旭川の風景か。
あるいは、実在しない、心象風景か。



理想の死に方

15歳くらいの頃からだったか、理想の死に方を考えていました。
自殺を考えていたんじゃなく、自分の死ぬ姿をなんとなくぼんやりと思い浮かべていたんです。

それは、原風景の中で死ぬこと。

つまり、雪景色の中で死ぬこと。

夜、降りしきる雪の中、積もった雪の上に膝から崩れ落ちて、そのまま冷たい雪に突っ伏して、みるみるうちに体が雪に埋もれていって。
そして、「死にたくない」と思って死ぬ。
それが思春期の僕が思い浮かべた理想の死に方でした。



罪の雪

18歳くらいの頃からだったか、「罪の雪」という言葉が頭に浮かぶようになりました。

「あの時ああしていれば」
「なんであんなこと言ってしまったんだろう」
「本当に申し訳ないことをした」
「なんて恥ずかしいことをしてしまったんだろう」

誰しもそうやって自分の言動を反省することはあると思います。
中には何日も引きずってどうすればよかったんだろうと考え込んだり、あるいは、数年経っても忘れられずふとしたことがきっかけで記憶が蘇っては落ち込んだり、そんな人もいると思います。
僕も、そうやって過去の記憶を蓄積してしまう人間です。

するとどうなるかといえば、歳を重ねるごとにその失敗の記憶の量は膨大になっていきます。

仕事をすれば仕事に関する反省が思い浮かび、遊んでいても遊びに関する後悔が蘇り、お酒を飲めばお酒に関する失敗が思い起こされ、もう眠ろうと思えば眠りに関する失態が再生される。

僕はいつしかその面倒な性質と、心の中の原風景を重ね、更には理想の死に方のイメージを重ね、「僕の心の中には罪の雪が降り続けている」「僕は罪の雪に埋もれて死んでいくのだ」と表現するようになりました。



2015年

僕がうつで倒れたのは2017年8月。
でも、2015年、大学を卒業後、就職したての時にも一度危険な時期がありました。
(そして楽な方へと逃げた先で、「もうこれ以上は逃げられない」「これは楽な状況のはずだから弱音なんか吐いちゃいけない」と思い、限界まで自分を追い込んで2017年に潰れてしまったのです)

2015年、就職したての時は、使命感に溢れていました。
夜まで仕事をして、しかし仕事をすればする程わからないことは増えるため、更に遅くまで勉強をして、コンビニでご飯を買って帰って食べて寝て起きて、また朝早く職場へ行って勉強会に参加して……そんな生活を送っていました。
しばらくは続けられたものの、夜勤や休日出勤が始まり、結婚の話がとある理由で頓挫し、唯一の楽しみだった遅い夏休みの沖縄旅行も終わり、ゴールの見えない日々に迷い込みました。
しかも仕事は失敗と後悔の連続です。
あの時ああしていれば。もっと勉強していれば。もっと自分に力があれば。
僕の心の中には、溶ける間もなく嵐のように罪の雪が吹き荒れました。

そして、僕の心と体が1回目の限界を迎えました。



2016年

その時、僕の心の支えになったのがテレビ番組「水曜どうでしょう」や芸能事務所OFFICE CUEに所属するタレントの方々でした。

そして2016年、そのエンタメ情報を見るために、僕はTwitterを始めることにしました。

しかし、SNSに対して不安感を強く抱いていました。

例えば、Twitterで「いいね」をすることは、「僕はその時間、仕事や勉強をしていません」と世界中に宣言することに感じました。
仕事のちょっとした空き時間はもちろん、夜中や休日であっても、そうやって自身の怠惰な様子を他人に晒すことが恥ずかしく、誰かが僕を責めるのではないかという気がしたのです。

同じような感覚は他の職種であっても、専業主婦であっても、学生であっても、感じることがあるかもしれません。「こんなにスマホいじってていいのかな」「他にやるべきことがあるのにスマホいじっちゃうな」そんな感覚。

2015年の僕は、SNSをやる自分に対して「そんなことをしている暇があったら勉強しろ」「寝てる時以外は勉強しろ」と言うと思います。その時の僕にとっては24時間365日が勤務時間のようなものだったのです。(365日もその状態は続きませんでしたが……)
Twitterを始めようと思った2016年当時は、休むことやストレス解消の必要性を感じていながらも、まだ責任感が強く、「勉強や仕事をしないでSNSをしていていいのだろうか」という不安がありました。



「Twitterなんか見ていないで世のため人のため働きなさい」

「自分を犠牲にしてでも人に尽くしなさい」

「寝る間も惜しんで人を救いなさい」

「お前は受験で人を蹴落としてまでその道に進んだんだ」

「お前の職業になりたくてもなれなかった人もいるんだ」

「誰かが誰かをどれだけ救いたいと願っても救えない時、お前にはその人を救うことができる力があるんだ」

「その力があるのに使わずにいるのは罪だ」

「頭脳や技能だけの話じゃない。お前の資格には他の人にはできないことをする権利が与えられているんだ」

「限られた人にしか許されていない、人を救うという行為を行える人間なんだ」

「勉強せずに遊んでいたら、救えるはずの人を救えなくなるぞ」

「お前の幸せのせいで、人が苦しむぞ」「苦しんでいるぞ」「呻いているぞ」「泣いているぞ」「死ぬぞ」「死ぬぞ」「死んだぞ」

そんな声が僕の心に反響していました。


大袈裟だと思いますか?
僕もそう思います。
しかし、自分でもわかっているつもりであっても、罪悪感を覚えずにはいられなかったのです。



僕にとって、SNSをやることは、幸せな行為でありながら、罪悪感を覚える行為だったのです。



僕が幸せになることは、罪だったんです。


僕は2016年9月に作ったTwitterのアカウント名を「幸野つみ」に設定しました。



2017年

僕は本格的に病にかかりました。

それは、思考回路が歪む病。

例えば、嫌なことがあってネガティブになるのは正常。

自分は、嫌なことがなくてもネガティブになる病にかかりました。

膨れ上がる罪悪感に押し潰されました。
押し潰されれば押し潰されるほど罪悪感は膨らみました。

例えば「謹慎中のタレントが『遊んでいるところや笑っているところを週刊誌に撮られたら、一般人にスマホで写真を撮られて拡散されたら』、そう思って一歩も家から出られなくなる」という話のように。

そんな状態になったことがある人は、noteをやっている人には結構多そうですよね。



何をしても責められる気がしました。

SNSに限らず、すべて罪でした。

大通を歩いて笑っているところを見られたら「元気なら働けば」と責められるかも。

買い物して食事をしたら「稼いでない癖に贅沢をするなよ」と責められるかも。

家でだらだらしていたら、働いている人から「お前は休めていいよな」と責められるかも。

そう考えて泣いていたら、「辛くて泣きたいのは仕事をしているこっちの方だよ」と責められるかも。

そうやって泣くのを我慢してじっと耐えていても家の空気は悪くなるばかりで、家族に申し訳ない。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と言っても「うるさい」「謝らないで」と怒られる。

生きている限り責められる。

でも死んだら死んだで「なんで死んだんだよ」「相談しろよ」「馬鹿」「弱虫」と責められるかも。



2019年

その後、インターネットで小説を投稿する際も、Twitterで使っていた名前をそのまま使いました。

2017年に比べると状態は落ち着いています。

僕は現在、職業は変わりありませんが、一般の方が想像するような仕事とは少し違う仕事をしています。自分の時間を持てる勤務体制であり、勤務時間中も細々とした空き時間があったり、自分のペースで仕事ができたりするため、頻繁にTwitterやnoteなどSNSに顔を出しています。
今では24時間気を張る精神力も、365日頑張る体力もありません。
たくさん好きなことをして過ごしています。


しかし今でもびくびくしています。


また昔みたいにもっと時間やエネルギーを仕事に注ぐべきなのではないかと考える時もあります。


今の職業をやめて、作家になりたいと願うのは罪でしょうか。


例えばもし、今、仕事を辞めて作家になったとしたら。
この先およそ30年間、救えたはずの人を救えないことになります。


noteに投稿した小説は膨大な時間をかけて執筆しています。
やるべき仕事をおろそかにしたつもりはありませんが、その執筆にかけた時間をもし雑務の処理に充てたり、仕事に関する勉強に充てたりていれば、より円滑に仕事が進むようになっていたかもしれません。
そう考えると、僕の小説は、悪だと考えられます。
短編小説「ノート」も「冬の水槽」も「手作りの想い出」も「ハコダテのがごめ」も「石狩あいロード」も、書いてはならないものだったのかもしれないとも思えてくるのです。


僕にとって、作家になることは、幸せであり、罪なのです。

だから僕の作家としての名前も、幸野つみなのでしょう。




これが僕が心に抱える『痛み』の一部です。傷痕です。

びくびくするくらいなら、なぜ職業をプロフィールに記載しているんでしょうね。


幻滅しましたか。

それとも、思い上がるな。って思いますか。

神様にでもなったつもりか。って思いますか。

自分が特別な存在だと思うなよ。って思いますか。

自分だけが辛いと思うなよ。って思いますか。

幸せな悩みだ。って思いますか。

自慢か。って思いますか。


僕もそう思います。
しかし、自分でもわかっているつもりであっても、罪悪感を覚えずにはいられないのです。




僕の名前は幸野つみです。

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