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夏至前に親戚が教えてくれたこと。

夏至前の違和感をまた書きます、なんて言っていたら、
あっという間に夏至も終わり、本日満月。
違和感の話はまた別の機会にして(様子見が必要な部分もあるので)、
今日は、それこそ「夏至前」に起きた大変化について書いていこうと思います。

6/18。
普段ならお家にいるのだけど、この日は仕事を頼まれて外にいた。
仕事が終わり、スマホを確認すると、弟から連絡が来ていた。
親戚の死を知らせるものだった。

自分と同じ名古屋市内に住んではいたのだが、
そこが高齢者施設であること(色々制約がある)、
また最近では耳もあまり聞こえなくなっていたことからほぼ会っておらず、
ちゃんと顔を合わせたのは100歳の誕生日をお祝いした2年前だった。

ところで、実は私には「死」に対する恐怖心がある。いや、あった。
両親が死んだら、夫が死んだら、自分が死んだら…
考えると大きな闇に引きづられそうな感覚になるので考えるのをやめる。
その恐怖は、死後の手続きや今後の生活などの物理的な面というよりは、
精神的な面での恐怖。
「いる場所(次元)が変わるだけ」というのも、わかってはいても、
受け入れられていなかった。

ところが、だ。
今回、死の知らせを聞いて彼女のことを想うと、
思い浮かぶのは、くしゃっとした笑顔。
そうして浸っていると、不思議と、
「あぁ、住む世界が変わっただけなんだなぁ」というのが
すーっと自分に染み渡ったような感じがして、
以前あったような恐れは、全くないといえば嘘になるだろうけれど、
少なくとも以前のようではなくなった。

6/19に通夜を終え、6/20に告別式、火葬。
まさに、「夏至前」の出来事であった。

今までにも、特に子供の頃は、お洋服を買ってもらったり、
美味しいご飯食べに連れて行ってもらったり、していたけれど、
最期に大きなプレゼントをもらえたような気がした。

ありがとう。102年間お疲れ様でした。
どうぞお元気で。

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