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あの頃の「すき」が続いている|カフェスルス ずんちゃんのお話

愛知県長久手市にあるカフェスルスに向かう。

石作神社の横の道を歩いていくと、『昼ごはんの店』と書かれた可愛い看板が出迎えてくれる。
ここが本当にカフェ?と思ってしまうような佇まい。
思わず「お邪魔します」と言いそうになる。

カフェスルスのあるこの場所は、2021年に古民家を改装して作られたイベントハウス『terra terra 地球寺』(以下、テラテラ)。
寺子屋のように学び、遊べる場所になったらいいなという想いが込められている。
テラテラには現在、カフェスルスとゆんた鍼灸治療院があり、それぞれずんちゃんとテンちゃんの愛称で呼ばれる2人がオーナーとして運営している。

「こんにちはー!」と挨拶しながら中に入ると、オーナーのずんちゃんとお客さんが2人で大豆の選定をしていた。

今日は「手しごと喫茶の日」。
ずんちゃんが作る身体に優しい料理を食べに来るのもよし、その日やりたい作業をやりに来るのもよしの日だ。

ホワイトボードに書かれた可愛いメニュー表から、枇杷の香りのする豆乳チャイをお願いする。
エプロンをつけたずんちゃんが立つ台所は、青いタイル張りでちょっと懐かしい感じがする。

いただいたチャイを飲みながら、大豆の選定のお手伝い。
ここでは初めましてでも関係ない。
その日たまたま集まった人たちが、自然とひとつの机を囲めるような、そんな場所。

スルスは、今日みたいな「手しごと喫茶の日」もあれば、ワークショップが開かれたり、フラダンス教室になったりもする。

「テラテラは、ここで一緒にやってるテンちゃんと、みんなの得意技を活かせる場所にしようと始めたの。やっぱり、その人なりの力、光みたいなのがあるからさ。それを自信もってやったらすごい素敵な世の中になるんじゃないかって!そういうオタクの集まる場所になったら楽しいよねーって!」

そう話すずんちゃんも、素敵な得意技の持ち主。
カフェスルスのオーナーでもあり、イラストレーター『ヒラマツミヨコ』さんでもある。
小さい頃から好きだった料理や絵が、今では仕事になっている。
でも、そんな自分の得意技に気付けたきっかけは、何気ない日常だったという。

「コロナにかかって治ったときにさ、掃除機かけてたときに、ふっと小学校の図工の時間に描いてた絵を思い出したわけ。そのとき描いた桜並木の絵がすごい好きだったなって思って。で、そう思った瞬間、何とも言えない幸福感に満ち溢れたの。だから、みんな子供の頃に好きだったことを思い出したら、こんなに幸せな気持ちになれるんじゃんって思って。みんなあるからさ、きっと。」

何かに気付くときは案外シンプルなのかもしれない。
でも、その気付きを受け入れられるシンプルな自分でいることがきっと一番難しい。

ずんちゃんも得意技を活かせてなかったと気付いたのは最近。
スルスをオープンする前は色んな職業に就いていたそう。

「こうやって言うと人のせいみたいに聞こえちゃうかもしれないけど、大人たちが絵だけじゃ食べていけないからだめーって言うから、そうかーって思って。それだけでは食べていけないって決めつけてたんだよね。」

高校を卒業してから、美容師のお母さんの影響で美容の専門学校に通うも中退。
中退したその日に家出をして、名古屋で演劇の世界にはまっていったそう。

「一応ね、就職活動もしたんだよ。内定ももらえたりしたんだけど、やっぱり嫌だなってなって、そのまま家出してしまいました(笑)」

大人たちからの反対を押し切って家出をしたなんて、穏やかな話し方からは全く想像ができない。
やはり『やりたい!』という衝動は、ものすごいエネルギーになる。
でも、どうして演劇?

「演劇はね、もうほんとにね、わけのわからない人たちが自分のやりたいことを突き詰めてやってるっていうのが新鮮で。この人たちとなんか面白いことがやりたいっていう、ただそれだけでそこに行ってしまいました(笑)」

バイトをしながら、演劇に没頭する日々。
イラストレーターとして大手企業から仕事をもらうこともあったが、それだけでは食べていけないと、本業にする選択肢はなかったそう。

ヒラマツミヨコさんの作品一例

その後、縁があって大阪の病院のリハビリテーションで働き始めた。

「そこで働きだしたら、芝居でやってたこととか色んな事が全部役に立ったの。芝居のときに歌ったり発声してたから、それがレクリエーションに役立ったりとか。美容学校に通ってたから、患者さんの髪を切ってあげれたりとか。そしたらねー、すごい色んなことが起きたの。奇跡が。」

奇跡?

「失語症で喋れなかったおばあさんがいたんだけどね、Tさんっていう。いつも歌うときに、声は出ないけど心で歌えてるからそうやって歌ってねって言ってたの。そしたら別の患者さんが、Tさん時々笑うし、食べれてるから口は開けれるじゃんねっていうわけ。だから、食べるときにあーんって言ったら声出ないかねって言うからやってみたらさ、出たのよ、声が!」

その後もオウム返しだけだけど、「ありがとう」とか「お父さん」とか言えるようになったという。
他にも麻痺側の脚が動いた患者さんがいたりとか、驚くような出来事がたくさんあったそう。

「別に自分が何かをやろうっていうわけじゃなくて、楽しんでやってたら、人が人のためにっていうアイディアが出てさ。なんかものすごい化学反応というか、相乗効果って起きるんだね。」

やってきたことに無駄なことはひとつもないとよく言うけれど、まさにそうだなと思う。
このリハビリでの仕事も一見今と何も関係ないように見える。
でもきっと、この相乗効果は、今のスルスでも起きているはず。
ずんちゃんの料理や絵で人が集まって、偶然のご縁から、スルスでこんなことしたい、こんなことしたら?ってアイディアが生まれる。
料理や絵だけじゃなく、色んな可能性を広げる力もまた、ずんちゃんの得意技だと思う。

リハビリテーションの仕事を続けながら後半、お母さまの介護、そして看取り。
13年続けた病院の退職後は、リハビリデイサービスの立ち上げに貢献。
そこでさらに介護の仕事を2年行った。

「家に帰ってご飯食べて、そのまま電気を煌々とつけて、皿とかもそのままにして、かーって寝てて、3時に起きて、みたいな。そんな感じだったんだよね。どっちかっていうと人よりになってた。」

人より?

「他人のことばっかりやってたんだよね。そのときは、人のためにって思ってすごいやってたけど、ものすごい疲弊してたし、自分からどんどん遠ざかってた。」

人生は振り子と言うけれど、他人にとことん向き合った時間があるからこそ、自分に向き合うことが出来るのだろう。
そして、愛をもって人に向き合ってきたからこそ、多くの人からの愛をもらっているんだと思う。

お母さまが亡くなられたときも、勤めていた病院のみんなが一丸となって看取りをしてくれたそう。

「亡くなる3日前までさ、患者さんの散髪の依頼を受けててさ。そしたらリハビリの友達たちから、何言ってるの!お母さんのところにおってあげや!って言われて。副院長とかも、楽に死なせたるでなって言ってくれて。」

最後の最後まで一生懸命看れたから悔いはないと話すが、その道のりは本当に大変だったという。

「もうほんとにさ、ぶつかり稽古だよ。いつ私が三面記事の見出しにのぼるかっていうくらい。このまま刺したろかなとか、このまま車いすぼーんって押し出したろかなって思ったこともいっぱいあったし。」

介護度がどんどん上がっていく中でも、自分で看ると決めて頑張ってきたことは、お母さまにもしっかり届いていたんだと思う。

「最後にね、肺炎で入院になってそのままになっちゃったんだけど、その前にさ、あんたを産んでよかったって。産まれてきてくれてありがとうって言ってくれてさ。産んでくれてありがとうって言ったんだよね。」

想いのつまった涙を見ると自然と涙が出てしまう。

「最後の最後にあの言葉のやりとりが出来て。ありがとうって思ったし、お母さんの死亡届を出しに行ったときにさ、明るいものに包まれた感じがあったんだよね、すごく。」

「そのとき、役に立てなくてごめんねってお母さんずっと言ってたけど、やっとお母さんがなりたいものになれたんだって感覚があったの。大きな愛みたいなので、常に私を包んでくれる、そういう存在になったんだよね。それから私、晴れ女になりました。」

晴れ女になりました。
涙を浮かべながらもそう微笑む姿から、ずんちゃんの強さと優しさを感じる。
大きな愛に包まれたずんちゃんがみんなを照らすから、スルスはホッと、安心できる場所になる。

やりたいことがなくても、目の前のことに一生懸命取り組めば、きっとその先に繋がっていく力になる。
でも、もし、心がはっと動く瞬間があれば、自分の心に正直になってみるといいよ。

ずんちゃんの話を聞いていて、そんなことを教えてもらっている気がした。



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