日本の偉大な小説家(2)

田村俊子


別名:佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。

生れ:1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日)      東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)

学歴:東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。

代表作

『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』

その他

「生血」
「女作者」
「炮烙の刑 」- 俊子と田村松魚、伊東六郎の三角関係をもとに作品化したもの
「山道」
 
「あきらめ」- 金尾文淵堂 1911
「誓言 」ー新潮社 1913
「山吹の花 」ー植竹書院 1914 (文明叢書 ; 第33編)
「木乃伊の口紅」 牧民社 1914

生涯

1902年に露伴から与えられた露英の名で、小説『露分衣(つゆわけごろも)』を発表するも、露伴から離れ、岡本綺堂らの文士劇に参加したことをきっかけに女優になる。女優としての芸名は花房露子[1]。しかし文学への意欲は失われず、

1909年に結婚(事実婚)した田村松魚の勧めで書いた『あきらめ』が、1911年大阪朝日新聞懸賞小説一等になり文壇デビュー(1月1日-3月21日連載。7月刊)、その後「青鞜」、「中央公論」、「新潮」に次々と小説を発表し、人気作家となる。しかしそれも長くは続かず。

1918年、朝日新聞記者鈴木悦の後を追い、松魚と別れバンクーバーへ移住。悦とともに現地の邦字紙大陸日報の編集に参画する。

賞創立

官能的な退廃美の世界を描き、人気田村俊子賞が創設された。

野上弥生子

本名:野上 ヤヱ〈のがみ やゑ〉

旧姓:小手川、1885年〈明治18年〉5月6日 - 1985年〈昭和60年〉3月30日)

生まれ:大分県臼杵市。夏目漱石の紹介で『縁』を発表して以来、写実主義に根差す作風と、理知的リアリズムとで市民的良識を描き続け、明治から昭和末期まで80年余の作家活動を行った。芸術院会員。文化勲章受章。

人物詳細:弥生子は昭和初期から約60年、北軽井沢の大学村に春から秋にかけて過ごしていた。最近では、同じく北軽井沢に隠遁生活を送っていた哲学者の田邊元と密かな恋愛関係にあったことが判明し、その往復書簡300通余りが『田辺元・野上弥生子往復書簡』として岩波書店から刊行されている

若い頃、豊一郎の一高時代の同期生として知り合った中勘助に愛の告白をしたことがあり、その後何十年もわだかまりを抱き続けた。この一件は、巌本善治の失脚、法政事件(豊一郎が大学を追われた学内紛争)と並び、弥生子の人生の腐植土になった出来事だったと述べている。晩年、夫の死をきっかけに中とは再会し、中が没するまで交流が続いた。

親族

次男野上茂吉郎(東京大学教授、物理学者) - 東大物理学科卒。九州大学、学習院大学の教授を経て東大物理学教授、定年後法政大学工学部教授。妻・正子は高野岩三郎とドイツ人妻バルバラの三女。
三男・野上耀三(東京大学教授、物理学者) - 東大工学部機械工学科卒。海軍技術研究所勤務(技術大尉)を経て戦後東大理学部物理学科に再入学、東大理学部教授となり、定年後明星大学教授



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