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スピリチュアルで自尊心を満たしてしまうと、現実が上手くいかなくなる

わたしは、いわゆる「スピリチュアルヒーラー」という職業で生計を立てている。この肩書は、とても怪しくて、何か人に理解されないような、信仰を抱いているのではないかと思われるのは、無理もないことだと思う。そしてそれは、間違いとも言い切れない。それは、目に見える物質だけで判断しないし、エネルギーの観点から思考するし、エレメンツで判断するし、そういうのは本来、現実社会では、必要のないことだからだ。

そして、自分にとっての大事なことは、自尊心と大きく関係してくる。自分だけがわかること、周りはわからないけれど、自分だけが理解していること。自分だけが考えていること…それらを感覚的に「大事なもの」だと扱いたくなる。つまり、「周りはそれが見えていないけれど、自分にだけはわかっている」という状態は、特別な自分を約束してくれる。

過去のわたしは、多分そのような自分だからこそ、存在価値があるように信じていた。しかし、その価値観を抱いている限り、周りの人と上手くやれないこと、お金に苦労することが、問題として常に存在していた。経済を大事に扱うことや、自分と同じように、人の気持ちを大事にすることで、周りの人たちと繋がれるし、お金に困ることも減ってくる。それに気が付くまで、ずいぶん時間がかかったような気がする。

見えないものを信じすぎてしまう時というのは、現実に何か不満がある時だ。そしてその不満は、大抵、弱い自分が呼び起こしている。弱くてもいいのだけど、短所に開き直るのは、自分に背中を背けているだからだ。

現実を受け止めることは、自分を受け止めること。

わたしにとってそれは、スピリチュアルに価値を置きすぎないことだった。

しばらくの間、自分の肩書などを一切説明せずに、人付き合いをしてみた。今の人たちは、パーソナルスペースを守ってくれる人が多いので、変な詮索をしてくる人は、結構少ない。わたしが何者であっても、何者でなくても、人として受け止めてくれるのは、とてもありがたいことだった。そういう付き合いの中で、段々と、自分が何者なのか、自分が何を大事にしている人間なのか、知ってほしくなる人たちが生まれてきた。

結局わたしは、スピリチュアルと呼ばれる世界を愛していた。多分に、順番が逆だったのだ。「スピリチュアルなわたし」ではなく、「わたしのスピリチュアル」を大事にすれば良いだけだった。

忘れないようにしたい。
見えないものや自分では確認できないことを、強く信じ込んでいる時は、上手くいかない現実に不満がある時。それを変えるのは、自分の力であり、自分の行動であることを。

今は、2021年1月。
コロナが猛威を振るっているこの今だからこそ、スピリチュアルがこれから流行ってくる。スピリチュアルが流行ってくれば、カルトもこれから増えてくる。本来のスピリチュアルとは、人を絶望から救う大きな力を持っている。しかしこの力は、使い方を間違えると、色々と面倒なことにもなる。

自分が長年愛してきたスピリチュアルが、本来の姿で、多くの人の役に立つように、少しでも、色々と伝えていけたらと思っている。



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