見出し画像

心の中で、乗りやすいストーリが生まれてしまったら

最近、ネットで何かを見聞きしても、すぐに信じたり、一緒に怒ったり悲しんだりしなくなった。それがどんなひどいことで、怒りを誘発するような事件であっても、見ているだけでは「詳細はわからない」からだ。
そのような癖がついてくると、湧き上がる感情の隣で、理性が冷静にささやきかけるようになってきた。だから最近のわたしは、感情がぐらりとしても、以前よりさらに早く、「ここ」に戻ってこれるようになってきた。

自分の大切な世界、自分にとっての大切な人、自分が本当に守りたいもの。そのようなことに力を注いでいきたい。時間をかけていきたい。

見聞きしてしまった情報から、心の中で勝手に生まれるストーリーを味わうのは、とても心地の良いものだ。そこには、感情も乗る。いろんなことを考え続けたり、本当のことを調べたり…そのようなことは、時間がかかるし、気持ち良くないし、面倒くさい。知ってしまったことが、自分にとって面白くないものだったら、きっとわたしの心も、それをいらないと思ってしまう。

けれど、そのような手間を惜しまず、冷静に語る言葉たちには、いつもしっかりとした質量があって、簡単にぶれない器を感じさせた。

心のままに語ることは、心地よく、それも大事なことなんだと思う。

けれど、心で起こっていることと、現実で起こっていることを混合した時に、歪んだフィルターが生まれる。

だから、心地よいストーリーが生まれてしまった時には、ちょっと気を付けてあげたい。

現実を生きる大切についての確信が強くなると、見えないものを丁寧に扱うことの重要性がわかるようになってくる。
それが、昔より、体感できるようになっている。

頂いたサポートは、自分の勉強代にあて、さらにお役に立てるように精進させて頂きます。