王様戦隊キングオージャー全体感想②ギラ・ハスティーについて

 まだ何者でもなかった、あるいは自分が何者であるかを知らなかった青年が、「民は道具」と言い切る国王に反旗を翻し、国王の正義をうち滅ぼすために「邪悪の王」になる。キングオージャーの第1話を見返すたびに、このシーンは間違いなく「変身」だ、と思う。

 キングオージャーの情報が解禁された時点では、ギラくんはノーマークのキャラだった、今まで推してきたキャラとは傾向が違っていたし、最推しになるなんて考えていなかった。

 しかし、いざ放送が始まってみたら、印象が大きく覆された。素の一人称は「僕」だし、何より子どもを抱き上げたシーンの表情は、子どもたちへの愛に溢れていた。
 そして件の、ギラくんが「邪悪の王」になるシーン。それは紛れもなく、演者の芝居の力のみで成し得た唯一無二の「変身」だった。ただただ眩しかった。漫画「劇光仮面」の言葉を借りるならば、その眩しさはまさしく「劇(はげ)しい光」と形容すべきものだった。その眩しさに、劇しさに魅了された。私がギラくん推しになった瞬間だった。
 劇的なる者への変身。「邪悪の王」というロールを演じ、芝居がかった口調で話し、しかしその言葉はいつだって本心から出たものだ。真実味がある。そこにはギラくんの正しさと優しさが宿る。ギラくんの優しさは常に正しいとは限らないけれど、少なくともギラくんの正しさを私は優しいと思うし、私はギラくんの、そういうところが好きだ。

 ダグデドによって生み出され、シュゴッダム国王のコーサスの思惑によりゴッドクワガタのソウルを体内に取り込み、兵器となるかもしれなかった存在。しかし弟を道具とされることをよしとしなかった兄・ラクレスによってひそかに城下町の児童養護園に送られ、そこで王子として生まれた記憶をなくしたまま平民としての人生を送ることになる。バグナラクの侵攻に際して民を切り捨てる態度を取ったラクレスに反旗を翻して「邪悪の王」となり、やがてそのラクレスさえも倒して本当にシュゴッダムの王様になった。怒涛の運命を辿り、遂には一国の王として立派に成長したギラくんを見届けることができて、とにかく今は感慨深さと感謝でいっぱいだ。

 柔らかさと苛烈さ。繊細さと劇しさ。存在が光そのものであるとすら思わせるほどの明るさを持つ一方で、生きることが地獄であることを誰よりもよく知っている。対照的な一面が、互いに折れ合うわけでもなく、むしろのびのびと同居している。誰よりも多面的だからこそ、どの面にスポットライトが当たっても、誰よりもキラキラ輝く。少年と青年、子どもと大人、市民と王、対照的な存在が一体となったような、そんなひとには今まで出会ったことがなかったし、今後もきっとないと思う。ギラくんは私にとって唯一無二の存在だ。

 ラクレスやライニオール、デズナラク8世と対峙するシーンの、あの星が爆ぜるような、燃えるような瞳が好きだ。子どもを前にしたときの、目の前の小さな命を愛おしむ表情が好きだ。ギラくんは間違いなく人生最高の推しでヒーローで王様だ。

 本編が終わってもなお、彼の人生は、遠い惑星の上で続いていく。ギラくんの幸せと、そして何よりギラくんに命を吹き込んでくださった酒井大成さんの今後のますますのご活躍を祈念し、この記事の結びとしたい。