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王様戦隊キングオージャー全体感想④ファイナルライブツアー大千穐楽に寄せて

げにこの刹那、心臓の深奥の室に住むわが生命の霊ははげしくわななき、鼓動は血管のすみずみにまで恐ろしいほど感じられた。

ダンテ・アリギエーリ著 平川祐弘訳「新生」
河出書房新社 2015年

 引用したのは、ダンテの「新生」で、ダンテが初めてベアトリーチェ──ダンテにとって永遠の淑女である運命の女性──と出会ったときのことを記した文章だ。「王様戦隊キングオージャー」の1話が放送され、ギラくんが邪悪の王に「変身」するあのシーンを見た瞬間、まさしくダンテが記したような感覚を覚えたことが、今でもはっきり記憶に残っている。

 今年のスーパー戦隊のVシネを見終えてしまってから、火が消えたような生活を送っている。テレビ本編の最終回を晴れやかな気持ちで視聴し、素顔の戦士公演のMy楽を笑顔と共に見届け、静岡まで観に行ったファイナルライブツアーは、一年間の感謝を込めて最大限の拍手を送った。泣いて笑って、「卒業」してゆくキャストを自分なりのペースで送り出し、完全にやり切った、と思った。多少の「キングオージャーロス」感はあれど、それでもGロッソにほぼ月1回ペースで通い、オージャカリバーを買い、何ならメモリアル版も予約し、ファイナルまで観てしまえば、もうそれだけで満足できたはずだった。

 それでもVシネを観たら、どうしようもないロスに襲われた。本当に終わってしまったんだ、という実感が急にわいてきて、最終回やファイナルライブツアーを観たときより寂しくなった。

 赤いワンピースを見て心が動いても、「Gロッソに着ていくため」としてすぐに買うことはなくなった。プレバンで買ったギラくんが劇中でつけていたネックレスは、思い出を閉じ込めるように箱に入れた。昨年のヒーローライブスペシャルの前に「ギラくんのイメージと合うなぁ」と思って買ったイヤリングも一緒に。昨年のヒーローライブスペシャルから今年のVシネまでの1年間、キングオージャー関連のイベントや映画には必ず身につけたアクセサリーたち。それらを眠らせてしまった。目にしたら、また寂しくなってしまうから。

 今日いよいよ、ファイナルライブツアーも大阪で大千秋楽を迎えた。これ以上ロスになったらいよいよ情緒が壊れてしまう。しかしSNSを開けばどうしたって情報が目に入ってくる。だからXのトレンドの位置情報ををアラブ首長国連邦に設定することで日本のトレンドがなるべく目に入らないようにした。

 いつ終わるかが予め決められている作品にハマったのは、キングオージャーが初めてではない。それこそ仮面ライダーギーツは初めて仮面ライダーの変身ベルトを買い、ファイナルステージを観に行くほどにハマった作品だ。特撮だけではなく、過去にはトロプリやプリマジ、そして数々の朝ドラにハマって、最終回を見てはロスになり、を繰り返してきた。

 それでも、ここまで深くロスになる作品はキングオージャーが初めてだ。水道橋からは足が遠のき、もともも演劇ファンである私にとっては元の生息地(?)にも等しい日比谷に行く生活が戻ってきた。

 もちろん現行作品も楽しんでいる。それでもどうして、ここまで「キングオージャー」という作品だけが特別になったのか。他にも人生を変えたと言えるほど好きになった作品はあるのに。
 
 そんなことを考えていた時、ある本を読んだ。特撮とは全く関係のない本。その本を読み終えて、ふと思った。

 「王様戦隊キングオージャー」は単なる「好きな作品」の枠を超え、私にとってはもはやパートナーのような存在だったのだと。
 TTFCのアプリを開けば、いつでもキングオージャーを全話見返すことができる。劇場版だって観られる。それでも寂しいものは寂しい。だって、パートナーのいない生活が始まるに等しいのだから。現行作品であるか否かの違いというのはとても大きいのだと、自分ではどうしようもないほどのロスの底の底で実感している。

 本編のその後の物語さえも完結してしまった。しかし作品が完結してもなお、私の手元に残ったものがある。グッズや玩具や記憶もそうなのだけれど、私の手元に残ったものの中で一番思い出深いものは、本だ。
 キャラクターブックや写真集、宇宙船などの関連書籍だけではない。キングオージャーにも、何なら特撮に関係のない本の数々だ。

 キングオージャーは連続ドラマ性が強く、スーパー戦隊シリーズにおいて定番である巨大ロボによる戦闘シーンがまったくないエピソードもざらにある。そんな異色作であり意欲作であるキングオージャーを観たからこそ「スーパー戦隊」をもっと知りたくなって、『スーパー戦隊シリーズにおける「正義」と「悪」の変遷』という論文にたどり着いた。さらには、その論文で引用されていた宇野常寛氏による「リトル・ピープルの時代」も読んだ。
 「王様失格」というエピソードで、分かりやすい「正義」と「悪」の物語を民衆に流布することで混乱を収めようとする王たちのエピソードが放送されれば、関連性がありそうだと「ストーリーが世界を滅ぼす」を読み、その流れで「ポストトゥルース」も読んだ。群衆のエネルギーに満ちた作品で、そのエネルギーによって起こる争いが描かれた作品だからこそ、「暴力と紛争の”集団心理”」という本に興味が出て読んでみた。ヒルビルの洗脳が人類全体ではなくあくまでそのごく一部にのみ施され、しかし洗脳を受けた国民から不安と他国への敵意が広がっていく──その一連の流れはあまりにも生々しく、「デマの影響力」を手に取るきっかけになった。再び起きた「神の怒り」から避難した住民たちによって築かれたコミュニティが描かれたことで、「災害ユートピア」という本を知るきっかけになった。大災害と大規模な避難が扱われた他の作品は何だろうと考えた結果「日本沈没」にたどり着いたので読んでみた。ジャンルを問わず様々な本に手を出して分かったのは、「社会学を一度ちゃんとやっておかないと買った本の内容を理解できない」ということである。

 そういうわけで今、私には新しい目標ができた。放送大学でもう一度ちゃんと、勉強に向き合いたいのだ。現役の大学生だった頃は日本文学一辺倒だったから、今度は社会学をやってみたい。
 
 大学を卒業して以降めっきり遠ざかっていた活字や論文を改めて読むきっかけをくれた作品。それが私にとってのキングオージャーだ。虚構を通して、現実世界をより深く知りたいと思うようになった。

 そういう意味ではキングオージャーは、私の人生にかなり大きな影響を与えた作品となった。

 ありがとう、王様戦隊キングオージャー。一生忘れられない作品に出会えて、本当に幸せでした。これからもずっと大好きです。

 全体感想の締めがこんな文章で良かったのだろうか、とも思ってしまう。でも、これが私が今抱いてる感情のすべてなのだ。

 何回かに分けて書いたキングオージャー全体感想。ここまでお読みいただきありがとうございました。キングオージャーについてはnoteで今後も語ることがあるかもしれませんので、その際はまたお付き合いいただけましたら幸いです。