東独にいた 3巻感想

 こんにちは、雪乃です。宮下暁先生の漫画「東独にいた」の3巻の感想を書こうと思います。がっつりネタバレありです。

 1・2巻の感想はこちらからどうぞ↓

 「東独にいた」の舞台は、1985年の東ドイツ。国を愛し、体制を守るために生きる軍人アナベルと、普段は温和ながら反政府組織のリーダー「フレンダ―」としての顔も持つ青年ユキロウの関係を軸とした歴史モノです。

 2巻でフレンダ―ことユキロウは、秘密警察(シュタージ)に囚われてしまい、反政府組織フライハイトが奪還作戦に乗り出します。そこに向かう、アナベルたちMSG(多目的戦闘群)と呼ばれる特殊部隊。

 アナベルと同じMSGに所属するクロードやイシドロの奮戦むなしく、フレンダ―=ユキロウは解放されてしまいます。しかも、拘置所の所長をまるでユキロウが助けたかのような形で、奪還作戦は幕を閉じました。

 拘置所でユキロウとアナベルが出くわしてしまったとき、アナベルは最初「この人が私の敵だとは思えない」と感じていました。ユキロウには、「ユキロウ」と「フレンダ―」の人格を自在、かつ完全に状態でに交代させる能力があるからです。しかし、アナベルが「フライハイトを一人残らず殺しに行くのよ」と言ったことで、ユキロウは一変。おそらく本人でも無自覚の内に「フレンダ―」になったしまったことで、アナベルはユキロウの正体を悟ります。フライハイトが起こした停電の最中に、構成員のアウグストがフレンダ―を連れ出したため、アナベルはユキロウを見失うことに。

 奪還作戦後には、MSG創設者のオリヴィア・フォン・マイザーが登場。1話の1ページ目に登場していたのですが、名前が出るのは初めてですね。あふれ出る強キャラ感が大好きです。ドレスを着て、古風な口調で話すその姿はまるで貴族のよう。作中でも言及されていましたが、「フォン」がついているあたり貴族の血筋でもおかしくないですね。「フォン」の使い方を銀英伝で履修しておいて良かった。

 さらにフライハイト側も新キャラが。これまで未登場だった後方本部長の正体が明らかになったのですが、まさかの東ドイツの内務次官であるオイゲン・グローマンでした。こう来たか~~~~!!!!!政府内部に幹部がいるって、フライハイトもかなりチートでは……?

 勲章の授与式で、マイザーはベーシックインカムの導入を非公式ながらテレビカメラの前で提言しました。しかも「圧政をやめる」とまで宣言。これにより、自由を求め、圧政からの解放を望んで行動していたフライハイトの存在意義が揺らぐことになります。
 マイザー女史、国民に対して「そなた」って言ったり、もはや時代錯誤とも思えるような言動が多いのに、謎の説得力があるからすごいですね。マイザーがベーシックインカムの話を持ち出す14話、タイトルが「天井桟敷の人」なんですよ。作中ではクロードに「天上人気取り」と言われていましたが、タイトルではマイザーはあくまで「天井桟敷の人」。国家と言う劇場の一番上から、すべてを見下ろすマイザーは、ラスボスの風格さえ漂います。でも一方で、彼女の立ち位置は「天上桟敷」であって「天上」ではないんですよねきっと。「国家」の枠組みから外れることはなく、ただ全体を見渡し、常に先を見据えている……マイザー様しか勝たんなこれ。

 マイザーの提言を止めようとした警備員を倒したイーダの「1分で良いのです 御時間を」がカッコよかったです。あとエッボも3巻時点だとバトルの見せ場はありませんが、「すべての無線交信記録を同時に聞いて確かめる」という、バトルとは別ベクトルの有能さを見せてくれました。

 15話はね、文句なしの神回でしたね。6ページにもわたり、台詞が一切なく、ただ背景だけが流れるパートがあるのですが、驚いたことに、ほとんど鉛筆描きなんですよ。ここは本当に読んで欲しい。
 鉛筆で描かれることによって、存在しているのに存在していないような、幻影のような東ドイツの空気を感じました。どことなくノスタルジックでモノクロ映画のような質感。背景の描き込みもさることながら、アナベルの表情がすごく良いんですよ。往来を歩く子どもたちに笑顔で手を振るアナベルで私は泣きました。

 アナベルはユキロウの正体を知り、その上でケジメをつけるべく、ユキロウに会いに来ました。まるで1話の本屋のシーンのように、取り留めのない会話を交わす2人。
 アナベルがユキロウになぜ本屋になったのか尋ねると、「人生がもう一つあったら本屋をやりたかったから」と答えます。一方のアナベルは、国家主導で行われるスポーツの適性検査で軍人の道を見出され、軍人になりました。ここ、アナベルが「自分で決めた」って言ってるのが重要ですね。軍人になったのも、東ドイツを愛することを決めたのも、すべてアナベルの意志であって、誰かに強要されたものではない。

 ユキロウはアナベルに、「僕と一緒に西へ行かないか」と持ち掛けます。いつか二人で西ドイツへ行って、共に生きていきたい、と。まるでプロポーズのような言葉を投げかけられたアナベル。ここで描かれたのは、あったかもしれない、「もしも」の未来。ユキロウと二人で本屋を経営し、二人で好きな本や映画を見る、幸せな暮らし。
 ……あーーーダメだ、書いてたら泣けてきた。私、こういうifルートに弱いんですよ。それが原作では絶対に実現しないとわかっているなら尚更。
 もう一つの人生があったなら、アナベルはユキロウと壁を越えることを望んだ。でも人生は一つしかない。だからアナベルは、フライハイトを斃して東ドイツと共に生きていく道を選びました。そしてユキロウは「それでいい 君は間違っていない」と言葉をかけます。

 最後にユキロウが本屋から姿を消したことが明らかにされ、3巻は終了。

 ユキロウの「君は間違っていない」という台詞は、1話でアナベルが「自分を肯定するためにこの国を愛そうと決めた」とユキロウに打ち明けるシーンでも登場しましたね。ユキロウは、アナベルの強固な意志は嫌と言うほどわかっているはずなので、「西へ行こう」という言葉も、ある意味で決別の言葉として贈ったんじゃないかな。
 人生は一つしかない、というフレーズは、1話の「今さら引き返せないことの1つや2つ…誰にだってあるでしょ?」という台詞を踏まえるとより深く響きます。もう引き返すことも、新しく選びなおすこともできないのは、アナベルだけではなくて、ユキロウも同じですよね。
 ユキロウは、もともとアナベルを引き抜くために彼女に近づきました。でもアナベルにイデオロギーや立場を超えた共感を覚えてしまったのは、彼もまた「今更引き返せない」、かつ「人生は一つしかない」立場だったから。

 3話でユキロウはアナベルに向かって感情をあらわにして、「君」と呼んでいるはずの彼女を「お前」と呼んでいました。11話では、人格を操れるはずのユキロウが「ユキロウ」のままでいられず、また本人にとってもそれが予想外であったことが示唆されます。
 「フレンダ―(見知らぬ人)」の名を持ち、イシドロさえも見抜けなかったユキロウの人間的な部分を唯一表に持ってこられるのがアナベルなの、激エモじゃないですか。アナベルもアナベルで、ユキロウの言葉にだけは涙を流しています。両親の死に際してですら泣いていないのに。立場は真逆だし、イデオロギー的に分かり合うことはできないのだけれど、それでもどうしようもなく根底に同じものが流れているこの2人の関係性が好きすぎる。

 もしも2人が西ドイツに生まれていたら、せめてアナベルが軍人でなければ、せめてユキロウが反政府組織の人でなければ、と仮定の話を持ち出したらキリがありません。でも、ユキロウはアナベルが軍人であり、反政府組織に対して悲しみを訴えているように感じる人間だったから、「西へ行かないか」という言葉が出てきたんだろうなと思うとマジで泣く。ユキロウもまた、自分が政府を倒そうとしているから、軍人としてのアナベルに、少なからず本心からの言葉をかけたのかなあ。そう思うと、この2人の関係性は本当に軍人と反政府組織でなければ成立しない。しんどい。ナニコレ。

 ノアゾンからは、ユキロウがアナベルに西ドイツへ行くことを持ち掛けたことに対して「本音だったろ」と言われています。よくよく考えたら、エミリアからも、アナベルを殺すことをユキロウが命じた際、ユキロウは「泣くのを我慢している顔」をしていると思われていたんですよね。ユキロウ、実はこれもうアナベルのこと好きでしょ……。いや好きっていうか、私の語彙力がなくてうまく伝わらないのがもどかしい。1巻の帯には「恋と闘争の物語」と書いてあるのですが、もはや恋どころではすまない激ヤバ感情がここにはあります。

 史実ではベルリンの壁が崩壊するのは1989年。作中では今1985年。「東独にいた」でどのように東ドイツの終わりが描かれるのか楽しみです。早く4巻が読みたい。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。