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抱かれた邪鬼


ー 西暦2000年2月3日 本満寺本堂ー

 「おい、約束の日が来たぞ。あれから千年。今夜から一昼夜お前は自由の身だ」

 ここは、小さなお寺の本堂。時刻は夜中の十二時ちょうど。ご本尊の周りに並んだ四天王の一人、毘沙門天(びしゃもんてん)がうつむいて、なにやら声をかけています。

 その、毘沙門天の足下で、何かもぞもぞ動くものがあります。邪鬼です。

「待ちに待った、解放の日が来たんやな。踏み付けられて、千年や。たまらんかったでぇ」

 邪鬼は、毘沙門天の足の下から這い上がりながら、曲がった腰を伸ばしました。

「観音様から、言いつかったことだが、明日の午前十二時までには、ここに帰って来るのだぞ。帰って来たならば、また千年目に、二十四時間の自由をお前にやる。外の土産話を、持って帰ってきてくれ。私も退屈なのだ、待っているぞ」

 ほほ笑みを持った眼差しを向けながら、毘沙門天は邪鬼を送り出しました。 解放感いっぱいの邪鬼は、お寺の表門を洋々と後にしました。


ー外の世界―

 暗い夜道を歩いていますと、目の前を何かが、横切りました。三毛猫です。

飼い猫らしい、こざっぱりと奇麗な毛並みの若いおす猫です。

「最初に出会ったんも、何かの縁や。ちょっと体を貸してもらうで」

邪鬼は有無をいわさず、猫に乗り移りました。

猫になった邪鬼は、この夜、ライトとネオンの街を、興味深く面白く、そして恐ろしく感じながら、歩き回りました。

 夜が、しらしらと明けてきました。

 邪鬼は、世の中の移り変わりを、少しは知っているつもりでしたが、目の前に開かれたビルの林には声も出ませんでした。怖じけづき、これからどうしようかと、頭の中が真っ白になった時です。どこからか、ささやき声が聞こえてきました。

『何処のどなたか知りませんが、僕に乗り移った誰かさん。お願いですから、僕の家に帰って下さい。みっちゃんが心配するし、僕おなかも空いたし…』

「あ、猫くんか。俺は本満寺の邪鬼や。三日間だけ君の体を借りるで。行き先は、君の言う通りにしよう。ところで、君の飼い主の事、話してほしいな」

 『はい、僕の名前はチビ。御主人は、小学4年生のみっちゃんです。少しおしゃべりで、優しい女の子です。お母さんは、病気で入院中なので、今家には、幼稚園に通っている妹の里ちゃんと、ビールが大好きな陽気なお父さんとが居ます。全部で4人と1匹の家族です』

 『あ、そうだ、今の時間、あの角を曲がった幼稚園に、みっちゃんは居るはずです。お母さんの変わりに、里ちゃんのお迎えなんです。行きますよ!』

チビは勢いよく角まで走り、ゆっくりと幼稚園の前を歩きました。

 みっちゃんは、チビに気づいたようです。チビはみっちゃんの姿を確認すると、まっすぐ家路に向かいました。

 みっちゃんの家は、幼稚園から5分ほど歩いたところで、小さな古い木造の家です。玄関には寒椿が咲いていました。

チビは裏木戸をくぐり、専用の出入り口を擦り抜け、台所の方へと行きました。

台所の隅に置いてある段ボール箱が、チビの寝所のようです。その箱の中に、煮干しとご飯があります。

 チビが食事をしている間、邪鬼は家の中を探検しました。畳の部屋が三つありました。一つは、おとうさんの書斎。おおきな机と本棚と旧式のラジオが置いてあります。二つ目は箪笥ばかりの部屋。後一つが、みっちゃんと里ちゃんの部屋なのでしょう。二段ベットと机と玩具箱と本箱があります。

 その本箱の一番上に、写真立てが置かれています。写真には、お父さんとお母さんとみっちゃんと里ちゃんが笑って抱き合って姿が写っています。

 あら、写真の裏にはなにか書かれています。

☆道子・里子へ  お母さんとお父さんの願は一つです。『優しさと喜びで、心を一杯にして欲しい。悲しみや憎しみで心をふさがないでね』☆


ー心の塊―

 メッセージと写真を目にした邪鬼の心に、塗り込めたはずの記憶がおそってきました。

 同じ風景が、自分の過去にもありました。彼が、人間だった子供の頃の事です。食べることもままならぬ程の、貧しい農家の子供でした。両親は休むことなく働いているのに、家族は毎日ひもじかったのです。

 涼しすぎた夏を、通り越した冬のことです。実入りの少ない稲穂なのに、役人は容赦なく税を取り立ててきました。邪鬼は、おなかが空いて、寒くて、力も出ません。それでも、幼い弟を抱くと、すこし暖かくなりました。炒り豆を分けてやると、弟の幼い口元がほころびます。抱き締め守ってやる弟が居て、抱き締め守ってくれる両親に囲まれた邪鬼は、貧しくても不幸ではありませんでした。

 そんなある日、薪(まき)を取って帰って来ると、居るはずの両親も弟も居ません。土間に隣のおばさんが立って居ました。

「お父さんは、役人に現状を訴えただけなのに、その場で皆、切り殺されてしまったの。あなたは私の家に来なさい」

 そう言って、隣家に連れて行ってくれました。

 邪鬼は、悲しくて、せつなくて、腹が立って、いたたまれない思いで一杯になりました。

 愛する者を奪われた彼は、もうなにも愛すまいと心で繰り返しました。

「もう、いやや。こんな思い、するのは、もう、いやや!」

繰り返し、繰り返しこころの中で叫びました。

おばさんがしごとに出たある日、彼は家を出ました。

 荒れた気持ちを癒せず、有らん限りの悪いことをしました。彼は、何人もの人を、不幸におとしいれました。そんな邪鬼を見かねた観音様は、罰をお与えになりました。鬼と化し、四天王の足蹴(あしげ)におかれたのです。

 彼は、仏様に囲まれて、千年の月日を過ごすことになりました。慈悲や信頼や愛情と言う美しい言葉を仏様は教えて下さいました。けれど、知識は、閉ざした心をいやすことは出来ません。

 ところが今、幸せそうな写真とメッセージは、邪鬼の体の中に、入り込んで来たのです。

 邪鬼は、その時、自分の母の懐に包まれた思いがしました。

一粒の熱い涙がこぼれました。邪鬼はオイオイ泣きました。そして、ワーワーと泣きました。彼は、朝から夜まで泣きました。

千年分泣いて泣いて、涙で、心の汚れを洗い流しました。


― 帰路 ―

 邪鬼は、ぐっしょりと濡れた顔を拭い、チビの体から離れました。

チビを段ボールの寝所に移し、自分はお寺の方へと向かいました。

「約束の時間まで、たっぷりある。俺は帰らへんぞ。邪悪な鬼が、なんで、約束を守らなあかんのや。俺は帰らへんのや」

と言いながら、邪鬼はお寺の裏門をくぐり抜けました。

 そして本堂に入り、毘沙門天の足の下に潜り込みました。そして、すぐに、深い眠りに落ち入りました。

邪鬼の寝顔を見ながら、毘沙門天はつぶやきました。

「こんな穏やかな寝顔をしている邪鬼は、鬼とはいえないな。ゆっくり、おやすみ」

苦笑いをしながら、右足をそっと浮かしてやりました。


FIN


19年前、少し辛い時期をおくっていました。心の織を吐き出すように書いたお話しです。ちいさな童話募集に送ったら、小さな賞に入りました。