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2度目の投稿です。20年前に入選した童話です。ING生命「愛と夢の童話館」第4回収録です。小椋圭さんが選者で,鬼のお話が好きだそうです。

抱 か れ た 邪 鬼


ー西暦二000年ニ月三日 本満寺本堂ー


「おい、約束の日が来たぞ。あれから千年、今夜から三日間お前は自由の身だ」
ここは小さなお寺の本堂。時刻は夜中の十二時ちょうど。ご本尊の周りに並んだ四天王の一人、毘沙門天がうつむいて何やら声をかけています。
その毘沙門天の足下で何かもぞもぞ動くものがあります。邪鬼です。
「待ちに待った解放の日が来たんや! 踏み付けられて千年や。たまらんかったでぇ」
邪鬼は毘沙門天の足の下から這い上がりながら、曲がった腰を伸ばしました。


「観音様から言いつかったことだが、三日目の午前十二時までにはここに帰って来るのだぞ。帰って来たならば、また千年目に三日間、自由をお前にやる。外の土産話を持って帰ってきてくれ。私も退屈なのだ。待っているぞ」

ほほ笑みを持った眼差しを向けながら、毘沙門天は邪鬼を送り出しました。 
解放感いっぱいの邪鬼はお寺の表門を洋々と後にしました。



ー外の世界―  

 暗い夜道を歩いていますと、目の前を何かが横切りました。三毛猫です。
飼い猫らしいこざっぱりと奇麗な毛並みの若い牡猫です。
「最初に出会ったんも何かの縁や。ちょっと体を貸してもらうで」
邪鬼は有無をいわさず猫に乗り移りました。
猫になった邪鬼はこの夜ライトとネオンの街を興味深く面白く、そして恐ろしく感じながら歩き回りました。

 夜がしらしらと明けてきました。
邪鬼は世の中の移り変わりを少しは知っているつもりでしたが、目の前に開かれたビルの林には声も出ませんでした。怖じけづきこれからどうしようかと、頭の中が真っ白になった時です。どこからかささやき声が聞こえてきました。
『何処のどなたか知りませんが、僕に乗り移った誰かさん。お願いですから僕の家に帰って下さい。みっちゃんが心配するし、僕おなかも空いたし…』


「あ、猫くんか。俺は本満寺の邪鬼や。三日間だけ君の体を借りるで。行き先は、君の言う通りにしよう。ところで、君の飼い主の事、話してほしいな」
『はい、僕の名前はチビ。御主人は、小学四年生のみっちゃん。少しおしゃべりで優しい女の子です。お母さんは病気で入院中なので、今家には、幼稚園に通っている妹の里ちゃんと、ビールが大好きな陽気なお父さんとが居ます。全部で四人と一匹の家族です』


『あ、そうだ。今の時間あの角を曲がった幼稚園に、みっちゃんは居るはずです。お母さんの変わりに里ちゃんのお迎えなんです。行きますよ! 』
チビは勢いよく角まで走り、ゆっくりと幼稚園の前を歩きました。
みっちゃんはチビに気づいたようです。
チビはみっちゃんの姿を確認するとまっすぐ家路に向かいました。


みっちゃんの家は幼稚園から五分ほど歩いたところの小さな古い木造の家です。玄関には寒椿が咲いていました。
チビは裏木戸をくぐり、専用の出入り口を擦り抜け、台所の方へと行きました。
台所の隅に置いてある段ボール箱がチビの寝所のようです。その箱の中に煮干しとご飯があります。


チビが食事をしている間、邪鬼は家の中を探検しました。畳の部屋が三つありました。一つはおとうさんの書斎。おおきな机と本棚と旧式のラジオが置いてあります。二つ目は箪笥ばかりの部屋。後ひとつが、みっちゃんと里ちゃんの部屋なのでしょう。二段ベットと机と玩具箱と本箱があります。


その本箱の一番上に写真立てが置かれています。写真にはお父さんとお母さんとみっちゃんと里ちゃんが笑って抱き合っている姿が写っています。
あら、写真の裏にはなにか書かれています。


☆道子・里子へ  お母さんとお父さんの願いは一つです。『優しさと喜びで、心を一杯にして欲しい。悲しみや憎しみで心をふさがないでね』☆


ー心の塊―

 メッセージと写真を目にした邪鬼の心に、塗り込めたはずの記憶がおそってきました。


同じ風景が自分の過去にもありました。彼が人間だった子供の頃の事です。食べることも侭ならない程の貧しい農家の子供でした。両親は休むことなく働いているのに、家族は毎日ひもじかったのです。


涼しすぎた夏を通り越した冬のことです。実入りの少ない稲穂なのに役人は容赦なく税を取り立ててきました。邪鬼はおなかが空いて寒くて力も出ません。それでも幼い弟を抱くと少し暖かくなりました。炒り豆を分けてやると弟の幼い口元がほころびます。抱きしめ守ってやる弟が居て、抱き締め守ってくれる両親に囲まれた邪鬼は、貧しくても不幸ではありませんでした。
そんなある日薪を取って帰って来ると居るはずの両親も弟も居ません。土間に隣のおばさんが立って居ました
「お父さんは役人に現状を訴えただけなのに、その場でみんな切り殺されてしまったの。あなたは私の家に来なさい」
そう言って隣家に連れて行ってくれました。


邪鬼は悲しくてせつなくて、腹が立って、いたたまれない思いで一杯になりました。
愛する者を奪われた彼はもうなにも愛すまいと心で繰り返しました。
「もう、いやや。こんな思いするのはもう、いやや! 」
繰り返し繰り返しこころの中で叫びました。


おばさんがしごとに出たある日彼は家を出ました。
荒れた気持ちを癒せず有らん限りの悪いことをしました。彼は何人もの人を不幸に陥れました。


そんな邪鬼を見かねた観音様は罰をお与えになりました。鬼と化し四天王の足蹴におかれたのです。
彼は仏様に囲まれて千年の月日を過ごすことになりました。慈悲や信頼や愛情と言う美しい言葉を仏様は教えて下さいました。けれど、知識は、閉ざした心を癒すことは出来ません。


ところが今幸せそうな写真とメッセージは邪鬼の体の中に入り込んで来たのです。
邪鬼はその時自分の母の懐に包まれた思いがしました。


一粒の熱い涙がこぼれました。邪鬼はオイオイ泣きました。そして、ワーワーと泣きました。彼は、朝から夜まで泣きました。


千年分泣いて泣いて、涙で心の汚れを洗い流しました。

 

― 帰路 ―


邪鬼はぐっしょりと濡れた顔を拭い、チビの体から離れました。
チビを段ボールの寝所に移し、自分はお寺の方へと向かいました。
「約束の時間まで、たっぷりある。俺は帰らへんぞ。邪悪な鬼が、なんで約束を守らなあかんのや。俺は帰らへんのや」
言いながら、邪鬼はお寺の裏門をくぐり抜けました。


そして本堂に入り毘沙門天の足の下に潜り込みました。そしてすぐに深い眠りに落ち入りました。
邪鬼の寝顔を見ながら、毘沙門天はつぶやきました。


「こんな穏やかな寝顔をしている邪鬼は、鬼とはいえないな。ゆっくりおやすみ」
苦笑いをしながら、右足をそっと浮かしてやりました。


  

          ING 「愛と夢の童話館」コンテスト奨励賞受賞作品