毒親からの解放ストーリー (32)
私と彼とのお付き合いは、すこぶる順調だった。母から絶えず、気がきかないとか、何も出来ない出来損ないとかを言われ続け、怒られ続けていた私は、いつの間にか人の顔色や表情を読み取る癖がついていた。
母と比べれば、他の人達の気持ちを汲んで、希望を叶えることなど朝飯前になっていた。だから、彼のご機嫌とりをすることはむしろ喜ばしいことなのだ。
彼が大学院生になり、私は三年生になった。学年が上がるごとに実習が多くなりその都度レポートを書かなくてはいけない。特に三年生は専門科目の実習と実験で追いまくられる。
レポートを貯めてしまうと、週末に数本のレポートを書かなくてはならないので、彼の家に行く時間がなくなると思って、私は必死でレポートを書いた。こうして、レポートを一つ一つ書き終える度に、充実感を覚えたものだった。そして彼に一歩でも近づく為は、
留年せずに卒業するという事を目指した。
今思えば当時の自分は学業に恋にと、毎日取り組んでいたので忙しかったが幸せだったと思う。彼が大学院を卒業する時期は私の卒業と国家試験が同じ時期だったので、互いに忙しくなり会うこともままならなかった。しかし互いの気持ちの確認は取れていたので安心して試験勉強に打ち込めた。
試験が無事に済んで家でのんびりしていると、実家から突然連絡が入った。
「卒業出来た?こっちには電話一本、よこさないのはどう言う訳?いつ帰ってくるの? それとも帰ってこないつもりなの?」
矢継ぎ早に一方的にまくし立てる母。
久しぶりにその声を聞いた私は一瞬で頭が真っ白になってしまった。自分ではすっかり母からの呪縛は解けたものと思っていただけに、想像を超えた自分の反応に恐れをなしたのだ。
返事をしようとするが、上手く声が出ない。掠れた声でやっと一言だけ言葉が出て来た。
「今はまだ帰れません。後で電話します」
直ぐに彼に連絡をとった。 電話口での尋常ではない怯えた私の声を聞いて駆け付けてくれた。彼の胸に顔を埋めて、泣きながら母からの電話の件を伝えた。
「ユリは本当にお母さんからの支配に苦しみ続けたのだね。僕が守ってあげるから、心配いらないよ。僕達が結婚を前提に付き合っていることを、ユリの家に行って了解をもらっておこう」と言ってくれた。
四月からはそれぞれ異なる病院で働いている。彼は大学病院の精神科医として、私は徳島の市民病院で内科医として働き始めた。
互いに忙しい合間を縫って、やっとの思いで、二人の夏休みの日程を調整した。そして、神奈川県の私の実家に挨拶に出かけた。
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