毒親からの解放ストーリー(14)

 父と母を密かに観察してみると、父の仕事のうえでの接待で、ホステスのいるバーなどに行ったりした事が、母の私への叱責に関係している事がわかって来た。それ以来母への対策が取り易くなった。
しかもそれが母の他の女の人に対する嫉妬がそうさせていたなんて、見てはいけないものを見てしまった感じだ。そのうえ私をうさ晴らしの対象にしていじめていたなんて呆れてしまう! 母親として最低だと思う。
 
 学校から帰ると直ぐに夕飯の支度の手伝いをするが、最近は母の体調不良のせいで、買い物も頼まれている。近所のスーパーで預かったお金の範囲での買い物をするのだ。
 私は長期計画で受験を成功したいと思っていたから、調理の手間が省ける様な食材の買い物をした。
 たとえば肉屋さんで売っている揚げ物や惣菜コーナーの(肉じゃが)などだ。また寒い時期は鍋ものといったような簡単に調理できる献立にしてた。
 
 母はもともと家事が嫌いな方で、惣菜などは作るより買っていたから、私の簡単な夕飯に文句を言うこともなかった。
 そのうえ、お金を渡されて買い物をするようになったので、おかずを予算内に抑えて、余ったお金は少しずつ貯金した。もちろんバレないようにた。
小銭ではあったが、自由に使えるお金は少しずつ増えていった。このお金は、私の気持ちをさらに解放して行った。

 母は相変わらず友達付き合いを、禁止したが、母の体調が悪い時は自室で一日中寝ているので、学校帰りに友人達と短時間だが寄り道が出来るようになった。ファストフードの店に寄る事もあった。だから学校から帰ると必ず母の様子を探る為に、母の体の具合のチェックをしたものだった。あたかも母を心配しているようなそぶりを演じながら。
 
 母は弟には小遣いを多く与えていたようだったので、そのお金でたびたび友達と買い食いをして帰って来た。私にはしてくれないことを弟には何でも彼の言うとおりにして、何でも与えていた。それがとても悔しかった。

 その頃、父は仕事が忙しくて家に帰るのが常に遅いし、接待も多くて家で食事をする事はほとんどないくらいだった。そのため私と弟の夕飯は、私が惣菜を買って来て、それをただ並べるだけで良かった。

 そんな訳で、母の体調不良の時には家事の手を抜くことが出来るので、バレないように心の中で喜んだものだった。
 土曜と日曜は学校が休みになる。金曜の夜は、私がお風呂に入っている間に洗濯をしてしまえば、土曜の午前中に掃除を手早く終えて、昼前には市立図書館に行く事が出来た。図書館では大学選びのための資料集めをした。しかも母の目が届かないからワクワクしながら出掛けて行った。
      
 大学へは出来るだけ推薦入試で受験したかったので、学校の成績は全科目、オール5を目指した。そのためにも土・日の図書館で、母に邪魔されずに復習と予習ができるのは、ありがたかった。

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