毒親からの解放ストーリー (40)

 一度チューブにつながれてしまえば、寝返りを打つことも、ベッドに起き上がることも出来なくなり、半ば強制的に死ぬまでベッドに繋がれてしまうのだ。だからユリは退院の前に、褥瘡予防の為のエアーベッドを搬入し、訪問看護師やヘルパーを手配して退院の準備を整えた。

 約一ヶ月ぶりに家に帰ったお義父さんは懐かしそうに家を見渡しながら、喜んでいた。入院中は経管栄養だったが、車椅子で点滴をしながら、ある程度自由に動くことが出来た。しかし口から全く食べることがなかったので、家に帰っても食べようともしないし、水も飲まない。段々唇も皮膚もカサカサしてきた。水を飲まそうとしても首を振るばかりだ。死への時間が刻々と迫っているのがユリの目にもわかる。

 三週間後、『ありがとう』と『やっと皆なに会えるな』の言葉を残して静かに旅立って行った。
 残された娘と私は、二人で力を合わせて生きて行くしかない。私は遺された医院の看板をそのまま引き継ぎ、院長になった。
 四月、娘は何とか医大に入学した。

 お義父さんの相続人は娘のヒトミしかいなかったので、私は娘の相続に係る事務処理を手伝いながら、やっと一息ついた七月の終わりに珍しく実家の母からの切羽詰まったような電話を受けた。その日は太陽が照りつけて真夏の陽気だった。
「お父さんが死んじゃったの。今朝」
「何が原因なの?」 
「脳卒中だって。救急車を呼んだけど、間に合わなかった。ねえ! 私はどうすれば良いのよ! 私のそばには誰も居ないのよ。お父さんだって検死をするとか何とか言われて、警察が何処かに連れて行っちゃって、私独りきりなのだけれど、どうすればいいのよ!」

 母は私が聞いた事もない様な切羽詰まった声で取り乱していた。
 私は、受付に連絡して、予約の患者さんにキャンセルの電話を入れ、それから代診の先生を医師会から手配してもらってから急いで実家へと向かった。暫くは実家にいなくてはならないだろう。
 実家に着くと、一緒に暮しているはずの弟の宏は不在で、母が一人ポツンと居間で泣き崩れていた。

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