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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代…の前に“岡山城”が気になって)11 #060


1.はじめに

今回から、江戸時代の津山について書いていこうと調べを進めています。

江戸時代には、津山の名所である津山城(鶴山城)、衆楽園など)ができ、それに伴い城下町が整備されました。

先祖が働いていた「二階町」、住まいがあった「椿高下」などの地名もこの時代にできました。少しずつ先祖に近づいてきた感じがしています。


2.江戸時代の津山を調べていたら…

名所のひとつめ津山城。1604(慶長9)年に築城にかかり、1616(元和2)年、完成しました。

津山市街と津山城(左奥に見えるのが津山城です)



名所のふたつめ衆楽園。
1657(明暦3)年、津山藩二代藩主、森長継公が、京都から作庭師を招いて造営した「近世池泉廻遊式の大名庭園」です。

2023年6月 ある日曜日の衆楽園


衆楽園の写真を撮りに行ったこの日…衆楽園のパンフレットの横に並んでいた、岡山城のパンフレットに、私は目を奪われてしまって…。

岡山城は令和3年6月から「令和の大改修」が始まり、令和4年11月3日にリニューアルオープンしていました。

岡山城は、備前、美作を支配した戦国大名、宇喜多直家と、息子の秀家が関係しています前回の記事で、宇喜多氏のことを取り上げたので、どうしても見過ごすことができなくなってしまいました。 

岡山城が気になる!


3.今回は、岡山城について書きます!

先日、平日の岡山城にも行ってきたので、その写真もたっぷり載せたいと思います。

JAFカード持っていたら2割引になりました。



まず、岡山駅から岡山城周辺の地図をご覧ください。

岡山駅から岡山城は1.7km(徒歩約20分)


岡山城付近に、岡山、石山、天神山という3つの丘があります(上の地図には明記されていません)。

宇喜多直家は「石山の城は東の大川海に通じ運送も良く、繁昌すべき土地なれば此城に移るべし」と、1573(天正元)年、45歳の時、石山城を本拠にしました。


現在は、看板と石碑があります。

石山の城跡から、岡山城を眺める


4.宇喜多氏と豊臣秀吉

ここからは、日本の歴史と岡山の歴史が絡みます。

宇喜多直家は、羽柴(豊臣)秀吉と手を組んで、毛利氏との戦乱に明け暮れました。

しかし、1581(天正9)年、「尻はす」という病になり、52歳で病死しました。

宇喜多直家



その後、直家の息子の秀家(幼名…八郎)が9歳で家督を継ぎました。豊臣秀吉の養子となり、《秀》の字を与えられたと言われています。

宇喜多秀家


1582(天正10)年、宇喜多軍と豊臣軍は、毛利方の備中高松城を攻めました。
備中高松城の水攻め

同年6月2日(秀家11歳)、本能寺の変で織田信長が死去。このことが秀吉に伝わったのは翌日のことでした。ショックを受ける秀吉に軍師である黒田官兵衛が「天下を取るチャンス」と進言します。

秀吉と毛利氏は和睦し、明智光秀を討つため、中国路を京に向かいました。
中国大返し

6月13日、秀吉は明智光秀を倒し、(山﨑の戦い)、天下取りの道を突き進みます。


宇喜多秀家は、わずか11歳で備前、備中、美作を領有する大名となり、毛利家の監視役を務めるようになりました。

秀家は、秀吉に気に入られ、1588(天正16)年、秀吉の養女である豪姫を正室として迎えます。その結果、秀家は外様大名でありながら、豊臣秀吉の一門衆として扱われるようになります。

豪姫    秀家


1597(慶長2)年、秀家は、岡山の丘に本丸を定め、岡山城を築きました。築城は豊臣秀吉の指導によるとされ、城下町の成り立ちに繋がったと言われています。

岡山城の天守は、豊臣秀吉の大坂城と同じく外壁は黒塗りの下見板で覆われ、烏城(うじょう)との別名があります。


特徴を2つ紹介します。

特徴①…秀家時代の金箔瓦が出土していています。豊臣政権下の有力大名であることがわかります。


特徴②…天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているのも特徴の1つで、土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわれています。

上空から
横から



5.藤小雪庵の岡山城写真集

岡山城と自撮り棒と水


自撮り棒をバッグに入れて、行って来ました。写真を撮った場所は7ヶ所です。



①廊下門




②“石落とし”からのぞく




③表書院跡

ここに置いて……
歩く…


観光客の方が少なかったので、周りを気にすることなく撮影続けます♫



④鉄門跡

この先の階段を上ると岡山城が!


⑤本段(岡山城正面)

岡山城でーす!




⑥木陰のベンチから

近くに石のベンチがたくさんあります。

↑金のシャチホコが見えますか?(後で出てきます)



⑦岡山城天守閣
城内も(一部を除き)撮影可でした。

今回は岡山城のみ。
後楽園は、また今度。


ワクワクしながら、ゆっくり見学スタート♬



《B1.1F》

刀を持ってみよう!
重い…
火縄銃を持ってみよう!
重くて片手では持てない…


体験できるってとても良いですよね!




《2F〜4F》

歴史がたっぷり味わえます


全国的に珍しい「城主の間」


《5F.6F》


5F 金のシャチホコと岡山城下町をのぞむ
南方面
最上階へ向かいます!
6F 堀の向こうには後楽園
後楽園が見えます。
堀に浮かんでるスワンボートに乗りたいな…



とても居心地が良くて、まだまだゆったりしたいけど…そろそろ、帰ります。

お兄さんが階段を掃除をしてくださっていました。ありがとうございます。この写真を撮るために、何度も往復してごめんなさい。

お手洗いの鏡を見てビックリ!!
ステキな鏡だなー!

これは、岡山を代表する伝統工芸「烏城彫」。

↓お土産(自分用)はやっぱりコレ!

クリアファイル♬



この後、岡山城の隣にある、岡山県立図書館に寄りました。


6.おまけと次回の予定

岡山に来たら、必ずどこかでお茶したくなります。日頃できないから、至福の時。

チャイミルクティーのホイップと色々追加

美味しすぎて、一気に飲み干してしまって後悔…。

今回は、戦国大名宇喜多氏と岡山城について、前回の続きのような記事になってしまいました。でも、日本の歴史と地域の歴史の濃い絡みがあり、タイミング良く岡山城にも行けて良かったと思っています。

みなさんも機会があればぜひ岡山城へ♬

岡山城HP

次回は、江戸時代の津山の歴史に入っていきたいと思います!よろしくお願いします。


【参考文献】
『わたしたちの津山の歴史』 津山市教育委員会 平成13年
『日本の歴史』8.9.10巻 講談社 2020年
『岡山戦国物語』市川俊介 吉備人出版 2015年 
岡山城パンフレット
衆楽園パンフレット
刀剣ワールド
津山市HP
岡山城HP
Wikipedia

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