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〜だっせん3〜 祖父母の記憶から - みまさかぞく#013



先祖といえば、みなさんはどなたを思い浮かべますか?自分のルーツや先祖を調べている方はどんなところからアプローチされていますか?質問したいことがいっぱいです。

前回、「私が先祖へ想いを馳せるその源は何だろう?」を深掘りしました。すると、私自身の①感受性、②感性、③草を食うこと(!?)に影響を受けていることがわかりました。
今回は、④記憶についてお話ししようと思います。その記憶とは、私の幼少期に祖父母から受けた言葉。彼らの言葉もまた、私の先祖への想いに影響していたことに気付いたのです。
※本題は母方の祖父の言葉です。

1.父方の祖父母

私の家は、父方の祖父母と3世代同居でした。両親は仕事で忙しかったので、祖父母との時間もたくさん過ごしました。彼らは大正生まれ。祖父母って優しいイメージだけど、特に祖母は厳しい人でした。仏壇には生花を欠かさず、「玄関は神さまやお客様の出入り口だから子どもの出入りは禁止」など。家事もキッチリ教え込まれました。

五感の中で記憶と1番強く結ばれているのは嗅覚だと聞いたことがありますが、私は聴覚にもあると思っています。幼い頃、祖母は私を背中におんぶして色んな歌を歌ってくれました。その中でも私の涙腺が緩んだ「七つの子」。

「からす なぜなくの からすは 山に かわいい 七つの子があるからよ ……」

祖母は「この歌を歌ったら、ゆきちゃんは必ず泣きょった」とよく話していました。実験的に妹にも歌ってみたら、妹はケロリとしていたようで、私が泣く歌だったようです。私もそれは覚えていて、今でも、この歌を聞くと泣きそうになるのですが、幼稚園の頃かな?志村けんが「からす なぜなくの からすの勝手でしょー」と言ってるのをテレビで見た時は、衝撃を受けました。うん。

父母 祖母 妹と私 (鳥取砂丘にて)


祖父はとても温厚な人でした。私を叱ったのは小学生の頃一度だけ。ある日の夕食時、誰かの話に私が「うそ!」と言ったんです。後で部屋に呼ばれて「人は簡単に嘘をつかない。うそ!と言うのは失礼。やめなさい。言うなら本当?と言いなさい」と静かに言われました。この言葉は今も心の中に残っています。

ミニ小雪庵 祖父とお相撲 


祖父のお膝でクリスマス


2.母方の祖父母

母は一人っ子なので、母の実家へよく遊びに行きました。祖父母は私と妹をすごく可愛がってくれて、ちょっと女王さま気分でした。なのに、毎回ホームシックになって泣いてばかり。いつも祖父母を困らせていました。そんな時、祖父が「泣くな泣くな」と言いつつ、気を紛らわせるためか、いつも話していたことがありました。
実はそれが今回の本題なんです!!

祖父とミニ小雪庵 車にガソリン入れる
母と祖母と

3.本題

ゆきちゃんの足は安藤、まきちゃんの足は久世じゃなぁ。ちゃんとどっちかの血を引いとるんじゃなぁ」。つまり、「私(ゆきこ)と父、妹(まきこ)と母は、同じ足の形をしている」と。写真は2022年5月28日のものですが、確かに妹と母の足は親指が長く、全体的に四角い。私と父の足は人差し指が長く、よく…似てる。

母の足


妹まきちゃんの足


左 藤小雪庵の足   右 父の足



これらの記憶は、私の心の引き出しに入っていてふとした瞬間に思い出されます。父方の祖父、母方の祖母は亡くなりましたが、私たちを見守り包み込んでくれた温かい記憶は生きていて、フワッと微かに匂う程度に、先祖を感じる時を与えてくれます。会ったことのない昔々の先祖からずっとつながって今の私がいるんだな……。
これも先祖を想う源を形成する一部です。

4.おまけ

うちの猫の足

3回に分けてお届けした〜だっせん〜。先祖の想いについて、頭と心が整理できてとても良い時間でした。次回からは通常運転に戻り、また迷いかけたら〜だっせん〜したいと思います。

また次回お会いしましょう⭐︎



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