見出し画像

初めて浮気をさせた人

御池通の広いアスファルトが熱を放っている。ゆらめく空気の向こうに見える山は、やけにすこやかな緑色だ。京都の夏はいつだって蒸し暑くて、その変わらなさに懐かしい気持ちにもなる。盆地だから、湿気がたまって逃げられないのよ、と誰かが言っていた。夏は暑いし、冬は底冷えするし、京都に住めたらどこでも住めるらしいで。就職して東京に住み始めてからもう5年も経ってしまったけれど、たしかにあの京都のうだるような暑さと、皮膚を刺すような寒さは、東京では経験したことがない。

肌が思い出す京都に比べて、目に見える街の空気は変わってきているように感じる。出町柳の商店街には、小綺麗な映画館ができていた。百万遍にあった本屋は、餃子の王将になっている。その横にはサイゼリヤができていて、たしかここにはパチンコ屋があったはずだと思いながらも、ここはどこなんだろうと不思議な気持ちを持て余していた。肌に感じる京都はたしかにあの頃の京都で、けれど目の前の風景は少しづつ記憶とずれていて、頭の中で勝手に間違い探しを始めている。

幾度と通りすぎた記憶の風景を目の前に重ねていると、自分が夢の中を歩いているような気がしてくる。肌に感じる熱気や、街のざわめきが、少しづつ溶けていく。地面を踏みしめる感覚もだんだんとなくなり、足が宙をかきはじめる。前に進んでいるのか、落ちているのか、わからない。ただ記憶の風景や、声が、ふわりふわりと目の前を通り過ぎていく。眺めているうちに、しゅわしゅわと、言葉にならない感情が身体のなかを巡っていく。いちど生まれた感情は、泡のようにはじけ、消えることなくゆるやかな波紋を残していく。

寺町商店街のなかには、キューブ状の石がミステリーサークルのように連なった場所がある。ここに、色んなものが閉じ込められている気がする。どうやったら持って帰れるのかわからずに、とりあえず写真を撮った。誰も座っていないただの石が写っていた。あの日彼女がここに座っていて、こくりとうなずいたのは、もしかしたら夢だったのかもしれない。夢だったとしたら、夢だったと思い込んでみたら、何か変わるのだろうか。昨日見た夢を思い返すように、日記を書いてみようと思った。

最後までお読みいただけて、ありがとうございます。