会合ぼっち

大学生になりたての頃、新歓コンパに参加した。他大とインカレのバスケサークルで、私はこの日を楽しみにしていた。私なりにスタイルが良く見える服を着て、友達を誘って集合場所の新宿東口に降り立った。ワクワクして「ああこれこそ大学生だよね」と思い、居酒屋に入ってさあどんな話が出来るかなと期待した矢先。

私は完全に孤立した。
席の都合で友達と離れ、同じ席に座った人たちは既に仲が良かった二人組が何グループかあり、そこに先輩の男性達が絡んで行く構図。しかもそこにいた女子達は華やかで、元々ブスで垢抜けない私は一言も話せなくなった。

ただただ苦痛だった。早く帰りたかったし、期待していただけに絶望感が半端なかった。居心地悪そうな私に話しかけてくれる人たちもいたけど、今思えば私の格好はとてもダサかったし、そもそも可愛くないし、明らかに馬鹿にされていると感じて逃げたくなった。

どうやって帰ったのか覚えていない。早退したのだろうか。時間が経つまで律儀に会場にいたのだろうか。食べたり飲んだりしてたのか。大学時代の最も屈辱的な時間の一つだった。

そのことを、20年ぶり位に思い出した。
先日、会社主催の外国人との異業種交流会があり、動員として駆り出された。子どもがいるので夜の会合は勘弁してもらいたかったが、社主催なのでそれなりにベテランな人でないとダメだと指名された。ではとばかりに義母に子どもの世話をお願いし、きちんとした格好をして、どんな会合なのかな、私の仕事と子育てに関する話を膨らませるために単語をチェックしておこうと会話をシュミレーションし、飲み過ぎないよう予めサラダを食べておいて会場に足を運んだ。先輩や他部署の同期、後輩とも話が弾み、さあ交流会スタート、となって以降。

私は誰とも交流出来なかった。
酒を片手に会場をウロウロし、話したそうな外国人を探すも見つからない。所在ないのでトイレに行き、また戻って同じことをする。また見つからない。声をかけられない。会場の外を散歩してまた戻って同じことをする。何度繰り返しただろう。誰も声をかけてもらいたがらず、誰からも声をかけられなかった。ふと後輩などを見ると楽しげに話している。何故私は出来ないんだ!

壁の花になるのも忍ばれたのでコソコソと会場の外で隠れるようにコーヒーを飲んだ。早く帰りたい。2時間の会合のうち、1時間半で限界を感じ帰った。

あの時のことが蘇る。誰も私に興味がない。準備して、張り切って行っただけに落胆も激しい。これなら子どもといた方がどれだけ良かったか。そんなに自分コミュニケーション能力なかったのか?そんなに自分が放っているオーラが人を寄せ付けなかったのか?悶々と悩んでいた時、あ、と思った。

私マスク付けっぱなしだったわ

今思うと、会場でマスクしている人たちは誰もいなかった。後輩達もみんなマスクを外していた。あまりにもマスクが普通の生活に馴染みすぎて、付けていることを忘れていた。それか!!猛烈に合点がいった。

海外の人たちからすると、表情の読めないマスクは不気味なもので、極力付けたくないもの。こういう交流会で付けているということは、会話をしたくない人と思われたのかもしれない。

でも。
私はコロナ渦に開催された100人近くがいる会場で、自分の業務に関係がないのにわざわざ自分や家族の身を危険に晒してまで交流したくない。普段は他人に全く干渉せず、日本人は他人の目線や評価を気にし過ぎ〜と言う海外の方々が、ことマスクと日傘と日焼け止めだけは使用している日本人を揶揄する風習が私には全く理解が出来ない。放っとけや!マスクや日傘や日焼け止めを使用する権利だってあるやろ!

私が会合ぼっちになった理由は他にもあるのかもしれない。でも、今思うとマスクが最大の要因だったのだろうな、と理解をしている。学生時代とはおそらく異なる理由でぼっちになった私。それでも受けた傷は同じ位深いのだ。



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