逆転のトライアングルを観て

時間があったので急遽日比谷に観賞に行ったのだが、こりゃパルムドール監督作品だわ~と感激する位良い映画だった。ゲロぶちまけ映画とは聞いていたので、問題のシーンはモザイクを見る男子中学生のように目を細めて刮目しないようにしていたのだが、それ以外のブラックユーモアが効きすぎて、あっという間の2時間20分だった。ザ・社会風刺映画。ラストは少しパラサイトに似ている気がする。下記は完全なるネタバレ。

冴えない男性モデルのカールは、インフルエンサーでモデルのヤヤと、レストランの会計をめぐって口論する。カールより稼いでいるのに男なんだからおごるのが当たり前といった態度のヤヤに対し、カールは「お金の問題じゃなくて対等な関係でいたいだけなんだ」と話す。

そんな二人は、ヤヤが招待された豪華クルーズの旅に参加する。そこにはロシアのオリガルヒ幹部やしゃれにならない大金持ち、武器商人の英国人夫婦のほか、金のために何でも顧客の言うことを聞くというポールをはじめとしたクルー、アル中の船長、有色人種のスタッフなど様々な人が乗船していた。下働きのスタッフに対し、服装が不適切というだけで下船させるなど、そこはまさに「世界の縮図・地球丸」。「あなたたちがかわいそう。私みたいに今すぐ優雅に泳ぎなさいよ」とスタッフに海に入ることを強要する乗客のせいで夕飯に出るタコ(西洋では守銭奴の象徴)が傷んで大嵐(気候変動を象徴?)も相まって晩餐会はゲロまみれの阿鼻叫喚になり、そもそも指揮を執るはずの船長が酩酊状態で、海賊の襲撃も相まって船は沈んだ。しかも海賊から投げられた手榴弾は乗客の英国人夫妻が販売していた代物だから皮肉が効きすぎている。現世界をこれでもかと船に投影している。地球丸が大嵐で揺れまくってることにも気付かず資本主義だ社会主義だとやりとりしている船長らの様は非常に滑稽だ。

そして無人島と思われる島にたどり着いたカールとヤヤ、ポール、金持ち、オリガルヒ、障害者、アジア系のトイレ清掃係、黒人スタッフは力を合わせて生き抜こうとする。だがここで、それまで価値を持っていた美や富が完全に無効化し、最も力を持ったのはサバイバル能力のあるトイレ清掃係のアビゲールだった。タコを多めにがめるアビゲールに対し、「平等じゃないわ」と信じて疑わずに話す白人のポール。「これは私が採った魚で、私が火をおこし、私が調理した。だから私が一番偉い」というアビゲールの意見は、世界の様々な資材を生産する途上国の意見を代弁している。そしてここで肝心なのが、それまでヒエラルキーの下にいた人が上に行ったからといって世界は平等になるのではなく、新たなヒエラルキーが出来上がっただけで、世界には常に搾取とヒエラルキーが存在するのだと絶望する。そしてそれに群がり娼婦や泥棒、ピエロの様になる男どものなんと情けないことか。「対等な関係でいたいだけなんだ」って、どの口が言った?

最終的にヤヤとアビゲールが山の反対側に向い、実はここが無人島ではなくリゾート島だとうことに気付き、喜ぶヤヤと、元のヒエラルキーに戻ってしまうことに焦燥感を覚えるアビゲール。そんなアビゲールにヤヤは無邪気に心の底からの感謝としてこう伝える。「私あなたに本当に感謝している。私に何が出来るかしら?そうだ、私が雇ってあげる」。大きな石を持ったアビゲールがその後何をしたのかは想像にたやすい。それに対し、声を上げて走ることしか出来ないカール。お前なんなんだよ。アビゲールに「愛している。だから魚をくれ」と言って娼婦に成り下がった情けない奴。でもこれがこの世界を構成する人間。障害者の女性が観光地によくいる物売りの男性を最初に見つけていて、実はここがリゾート地なのではないかという真実に多分誰よりも最初に気付いているのだが、観客は「どうせこの障害者の女性の妄想でしょ」とスルーするように作っている気がしたが、私の思い過ごしか。個人的には、カールがヤヤに「夜ご飯代とインスタのために付き合ってる」と打ち明けられた時、それで終わりと振るのではなく、「ホレさせてやる」と言ったのは良かった。そういう気概を持っていただけに、残念ぶりがなんだかなあ。

ちなみにこの映画は邦題が「逆転のトライアングル」だが、オリジナルの題は「triangle of sadness(悲しみのトライアングル)」で、これは意訳で「眉間のしわ」の意味もある。こちらの方が映画の内容には即している。そしてヤヤ役の女優さんはとても魅力的な方なのだが、昨年32歳の若さでお亡くなりになったと知る。これからだったろうに、合掌。





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