見出し画像

小話「復讐を誓う」

生まれてからずっと、私には兄と母しか居なかった。
いや、父は居た。
居たのだけど……私にとってはただの同居人という認識しかなかった。
彼は私や兄に興味はない。
そんなこと、とっくに知っていた。
最初からそうであったように、頭では認識していて、だから私もそんなように思っていたのだ。
あの男は私なんて見向きもしない。
だって家にとって大切なものを持っていないから。
たったそれだけだけど、それが一番大きな理由。

「ごめん、杏子」
「兄様が謝ったとして、何になるの?第一元々興味もなかったわ。いいじゃない、そんなもの。固執するだけ無駄だわ」
「でも、俺が力を手にできなかったから杏子は……俺達は……」

兄は気にしていたのね。
でも私は気にならなかった。
私は私として生きれば良い。
……少なくとも、そう思っていた。



「ガルルァァアアア!!!」
「えっ……なぁっ!?」

それは目の見えない兄と共に登下校していた学校の帰り。
背後から襲ってきたのは狼型の妖だった。

「杏子!」
「あんたは逃げなさい!」

妖がどっちを狙っているか分からなかった。
でも目の見えない兄が狙われているとしたら助かるとは言えないだろう。
少なくとも家を継ぐ長兄であるのだから、犠牲となるのはただの荷物である私の方だ。

「お前はこっちに来なさい!」
「ギャゥ!」

ランドセルを投げつけ、視線をこっちに向けさせた。
少しでも兄に視線を向けさせてはいけない。
できれば距離も離して、私がやられた後に兄に向かないようにしたい。
走るの、得意じゃないんだけどな。
ランドセルを放り投げて体が軽くなったって言っても、元々の走る速度が上がる訳でもない。
特に狼なんて、すぐに追いつかれるに決まってる。
そんなことは分かってるのに、体は動いた。
無駄な足掻きだって分かっても、頭だけは無駄に動いた。

「……クオォォォン!!」

走って逃げれば、追いかけてくるだろう。
そんな算段。
だけどこの狼は違った。
そもそも父親から詳しい話や生態は聞いてない。
上位の妖は特別な力を持っていることを、私は知らなかった。

「んぐっ!?うああああああああ!!」

走って逃げていると突然足に何かが突き刺さった。
その痛みは焼けるように、だけど冷たくて骨に響く。
声を上げないと耐えられない痛みに足を見ると、地面から生えた氷柱が足を突き刺していた。
動けない。
足を縫い留められた。
背後を振り返ればさっきの妖が獲物を狙う目で見ていた。
死ぬ。
私、死ぬの?

「あ……やだ、ヤダ!やめて、死にたくな――」
「――伏せるんだ」

突き刺さって動けない私は駆け出し、飛び上がって来た妖に狙われた。
その恐怖から身を守るように腕を突き出して、何かの声が耳に響く。

「ふぇ……?」

次の瞬間にはギャウン、と妖の悲鳴が上がって、誰かが私を庇うように立っていて、腕を突き出している。
何が起こったのか理解する前に襲い掛かって来た妖は攻撃を受け、後ろに吹き飛んでいた。
同時に霧のようにその身体は消えていって、足からは冷たさが消えた。
妖と一緒に氷柱も消えたらしい。

「大丈夫かい?……君は、もしかして小鳥遊君の……」
「あ、ああ……あうぅ……っ」

助かった安堵からだろうか。
それとも恐怖からの開放だろうか。
私は助けてくれた男の人が誰か分からないまま、泣いてしまった。
その後私の泣く声に兄が来て、男の人に保護されて、足を治療されて。
客観的に何があったのかは分かるのに、なんにも頭に入らなかった。
結局男の人が誰だったのか分からないままで、兄からは「大丈夫?」「何もしてあげられなくてごめん」「ありがとう」と言われるばかりで、私は家に帰された。

「……ただいま」
「ただいま帰りました」

家の前まで送られて、門を潜って扉を開ける。
そこには、父が立っていた。
腕を組んで、目を吊り上げて、雷が落ちそうな雰囲気。
襲われた一連の出来事に意気消沈して疲れ切っていた私に、それは来た。

「怪我をしたと連絡が来たぞ!何をしているんだ!」

怒号。
明らかな苛立ちを交えた、最初の一言。
そこに家族なんていない。
ただ家の体裁を考えただけの父の独り善がりな言葉であることは、子供なりに理解できた。

「父さんごめん!でも杏子は俺が危ないからって体を張って守ってくれて――」
「――そんなもの知るか!仮にも妖を打ち倒す術士家系の人間だぞ!?力など無くとも、妖から攻撃を受けないなりの努力はしろ!」
「なっ……!父さんは心配の一言もないのかよ!杏子だってさっきまで怪我してて、本当に命まで危なかったんだぞ!」
「だからと置野にも高峰にも迷惑をかけて、お前達は家の荷物だという自覚もないのか!大体貴様らは――」

……ああ、また兄様と父が喧嘩してる。
毎度毎度飽きないのね。子供みたい。
二人の喧嘩の内容なんて頭に入らなかった。
ただただ疲れ切って、全部がどうでもよくなっていた。
その喧嘩が誰の為で、何が問題で何が悪かったかなんて興味も消えた。
そう。
どうせお荷物。
術士の力も妖に対抗できる技術もない私には、何をしたってお荷物にしかならない。
長兄である価値もない私なんて、生きるだけ無駄だ。
全部、無駄。

気付けば私は家の中を歩き始めていた。
父の「杏子!どこに行く!」と叫ぶ声も耳に入らないで、そこに兄が父を制止したのも知らないで、ただ当てもなくふらふらと歩き進めていた。
目的は無い。
でも、足は自然に自室――ではなく、母の部屋に向かっていた。

「杏子、お帰りなさい。……あら?廊下がなんだか騒がしいわね。玄関の方かしら?」
「……ただいま、お母様。……ねえ、お母様?」
「どうしたの?今日は元気が無いわね」
「ねえお母様、どうして私はお荷物なの?」
「え?」

ベッドで体を起こす母はいつものように、小さく微笑んでいた。
その表情を崩さず、ただ病人然としているものだから、体の奥底から沸々と苛立ちが溢れ出す。
気付けばその気持ちを抑えることができなかった。

「どうして、私はお荷物なの?術士の力も無い。一番目でもない。何の役にも立たない。ただ兄様を守る事だけが、私が生きる理由なの?」
「杏子……」
「じゃあ私は死ぬまで兄様を守るお仕事しなきゃいけないんだ?何度も何度も妖に襲われて、その度にあんな怖い思いしないといけないんだ?それでその度に怪我して、あの人に怒られないといけないんだ?その度に兄様には何度も心配されて謝られて感謝されて、ねえ、私って何?何の為に生まれたの?私が出来る事ってこういうことなの?」
「杏子、落ち着いて」
「なんで私は私なの?意味わかんない。父には荷物って言われて、兄には何度も気にされて、ふざけるな!どいつもこいつも、私を生んだ母様だって!ふざけるなふざけるなふざけるな!!」
「杏子!」

気付いたら言葉は止まらなくなっていた。
頭の中で浮かんだ言葉がそのまま垂れ流しにされて、口から吐きだされていく。
母が手を伸ばして止めようとして来るのも気にすることなく、私は一言叫んだ。

「こんな家、無くなってしまえ!<母様なんて、大嫌い>だ!」
「んぐっ!?う、うあァ……!」

それはまるで私の言葉がそのまま武器になったように。
母は突然胸を押さえつけて苦しみだした。
たった数秒で額に汗が流れ出し、母は肩で息をしだす。

「きょう、こ……」

私はその姿をただ眺めるだけ。
私に再び伸びてくる腕はカタカタと震え、みるみる衰弱していく母をただ汚らしいものを見る目で見つめていた。
……もしかして、心の底から叫んだ言葉が母を苦しめたのだろうか。
もしそうなら、母以外にも通じるだろうか。
私、この家が嫌いだ。
父も兄も母も嫌いだ。
でもこの言葉なら、この力があれば、この嫌いな家を呪うことができるだろうか。
父を同じように苦しめることができるだろうか。
出来るならば、そうしよう。
父が嬉しそうにして居る時が良い。
父が喜んでる時が一番良い。
私、決めた。
この家はきっと、術士が生まれるまで子供を産み続けるだろう。
だったらその術士が生まれて成長したら、この家を壊してやる。
父も後を継ぐ兄も、皆苦しめてやる。
生まれた術士も呪ってやる。

「……いい気味ね、お母様。私、決めたわ。こんな最低な人生、私の手で愉しく染め上げてみせるから」
「待ちな、さ……杏子……!」

私は苦しむ母を放置して部屋を出た。
暫くした後、兄と激しく怒号を飛ばして暴れていた父は一気に大人しくなったらしい。
そんなもん知るか。
私はやることができたのだから。
この力をもっと磨いて、もっともっと苦しむ姿が見られるようにしないと。
私は私のやるべき道を進む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?