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Gary Peacock

訃報に接して。

東京厚生年金会館でのキースジャレットのトリオのライブ。オールザシングスユーアーで、フリーなソロを取ったゲイリーが呻き声を上げて沈黙した。そこからの3人の魔法のようなインタープレイは、今のところどのレコードにも入っていない。

キースがとてつもなく速いテンポでエンディングを奏でた…と思ったら、パン!と3人は曲を同時に終えた。無音と、無言のどよめきが、拍手に先だって空間を満たした。忘れられない。

ゲイリーピーコックがベースを弾いたキースジャレットとジャックディジョネットとのトリオは、一つのグループで1ジャンルと言っていいほど豊かな内容で、録音作品も多く、また、近年最後まで本当に新鮮なスピリットが発揮されていて、最後の作品を聴いていても、最先端かつ最良のロックやポップ、あるいはエレクトロニカのようですらあった。そういうアレンジという訳でもない、ジャズをやっているのだけれど、音の細胞ひとつひとつが生き生きとしているのだ。

自分にとって彼らのグループの音楽は、影響を受けたという言葉ではとても足りない体験だった。即興と音楽の可能性と実践と美しさを全部教えてくれた。

あてどなく仙台の山側をドライブした時も、思うように弾けなかったセッションの帰り道も、バンドのツアーの車の中でも、沢山トリオを聴いた。人生の一部だった。もうこの組み合わせを直接聴く事は出来ない。

キースに名伴奏者と言わしめたゲイリーピーコックの音は高いようでも低いようでもあり、細面なのに太く豊かで、ゆっくりなのにスピードがあり…ジャズのアドリブの根本的なアプローチの幾つかはこの人からも学んだ。ツーファイブをどう捉えるか。二つの音を出して、どのように自分が聴いて、聴こえてくるか耳を澄ます練習。

キース寂しいだろうな。ベース弾きがいなければ、ピアニストは1人になる。切ないよね。たとえ1人で弾くことが出来たとしても。あるいはだからこそ。

そのベースや人生より、更に高い自由に、彼の魂が放たれますように。

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