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2019年 オンラインサロン・オフ会 対談スペシャル〜前編


12月某日、毎年恒例になっている プロサッカー選手永里優季のオンラインサロン のメンバー限定オフ会を某所にて開催しました。前回に引き続きMCに 森田泰史 を招いて、私との対談形式で進行させて頂きました。


<目次>
◾️ 過去とは違った今シーズン。変えたことは?
◾️ アーティストっぽくなってきた理由は?
◾️ 今現在、サッカーで喜びを感じる瞬間は?
◾️ ファンの存在とその影響について



今シーズン、充実のシーズンをシカゴで過ごしました。珍しく葛藤がなかったシーズンだったと思います。何か変えたことはありましたか?

変えたのは、意識的に思考する時間を極端に減らしました。もともと思考して、仮説を立てて、アクションを起こして、それを検証してっていうのを繰り返すのが好きなタイプで。


それを長いこと繰り返しやってきて、それが好きだったっていうのもあるんですけど。その(サイクルの)「型」にはめ込んでやってきたところがあったんですけど、今期それを過去をMAX10だとすると、それを2くらいにしました。


そうすることによって、ネガティブな方向へ行かないようにしました。もともと思考するとマイナスな方向に思考しがちな性格なので、それをやめたことによって、結果が出なかった時やうまくいかなかったときの「結果」の捉え方が変わりました。


受け流すというか、そこに対して深く思考しない。(チームスポーツなので)そういうこと(ミスや敗戦)が起こったのはある程度は仕方がない、というように考えるようになり、気持ちが楽になりました。


ーその変化に関して、何かきっかけがあって変わったんですか?


今シーズンは、昨シーズンに比べてシーズン始まりのチームの幸先がよかったんですよね。でも、自分のコンディションはそこまで上がってなかったんですけど、結果が出ていました(開幕から3試合(2分1勝)3アシスト3ゴール)。


それが要因の一つにあると思っていて。昨シーズンは、最初の出だしがものすごくボロボロで、勝てない試合が結構続きました。私も怪我で出遅れましたし。

その入りが全く違ったので、そのチームの流れに自分が乗っかっていけたことがまず最初にあったと思います。


ー 意識的に思考の時間を減らしたと言っていましたが、ここ数年の永里優季を見ていると、以前と違うのが「アーティスト」っぽくなってきている印象があり、白いキャンパスに自由に描いていくような、そんな印象があります。そのあたりは自分の器が大きくなっていったのか、それとも受け入れるということに対して身を任せようという感覚なのでしょうか?


自分の器が大きくなったという感覚はないのかなと。以前もっていた「サッカーはこうあるべきだ」という概念が全くなくなりました。それにこだわりを持ってやっていたところがあって、サッカーの原理原則的な部分であったり、ポジションごとにやるべき仕事があって、こうあるべきだ、ここにボールが入った時はここに人がいなければならないとか、原理原則的に考えていたところが一切なくなってサッカーを別のしてんから捉えるようになりました。


それは多分、音楽をやり始めたことは大きく影響していて、(サッカーを)曲を作る過程と同じように捉えるようになっていったんですよね。1試合そのものがある1曲の歌みたいな。その一部が自分であって、時間の流れであって、最後どうやって試合のクライマックスを迎えるのか、どういう演出で試合を終えるのかとか、そういう感覚で試合を捉えるようになったんですよね。


それが、観客の抑揚であったりとか、チームメイトの乗り具合であったりとか、そういう視点でゲームを感じるようになっていったのが、アーティステッィクになってきたと感じる理由の一つかなと思います。


ー そうなってくると聞きたくなるのが、今、サッカーをしていてどんな瞬間に喜びを感じるかといったところなんですが


間違いなく(勝利という)結果ではないですよね。もちろん勝利した時に嬉しいといった喜びを感じる瞬間はもちろんあるんですけど。それ以上でいうと、頭で考えないで、自然に自分にとってのミラクル的なプレーが出た時ですかね。

ー それってそのシーズンとかその週の準備だけではなくて、小さい頃から小サッカーをやってきた永里優季が無意識的に感覚的にドンって出たプレーに対して喜びを感じているというか。


子供の頃に戻ったような感覚が今シーズンは感じていたというか。なんか無邪気にボールを追いかける子どもみたいというか。


ー それに対する環境の左右っていうのはあります?


それは間違いなくあると思いますね。アメリカのサッカー自体も、絶対に勝てという雰囲気ではないんですよね。ファンやサポーターといった見にきている人たちが。それって、ヨーロッパにいたときには感じたことがなかったし、日本代表でプレーしていたときも全く感じたことがなかった感覚で。



ー さっき原理原則という話が出たのですが。僕はずっと永里選手を追っているんですけど、日本からポツダムに最初行った時によくおっしゃっていたんですが、まずはフットボールの原理・原則をまず理解しないとピッチ上で何をすべきかはわからないともよくおっしゃっていたんですね。

で、日本から海外に行って、文化も言葉もサッカーの仕方も違うというその異なる環境に適応するときに、その原理原則っていうものは自分で見つけなければならない、それに乗っとってプレーしなければならないというところに重きを置かれていたと思うんですね。

それでアメリカにたどり着いてシカゴで数シーズンやっていく中で喜びに感じ方も変化しているのもそうですし、結果主義ではないところもそうだと思うんですけど、以前もファンを喜ばせるところを意識してプレーしていたと言っていたのですが、そのあたりは今どういう感じでプレーしていますか?


そうですね、昔はファンのことなんて一切考えていなかったし、正直言ってファンなんてどうでもいいって思っていたんですね(笑)。というのも、ファンはピッチの中に全く影響しないと思っていたから、ピッチの中で起きていることが全てだって思っていて。

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みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。