「言われたからやる」という姿勢を持たない
A「どうしてそれをやるの?」(Why do you do that?)
B「そう言われたから」(Because I was told.)
私はこのような会話を何度も耳にしてきました。言われたから、言われたから、言われたから・・・言われたからやるってなんなの?!と、その価値観を理解できずに怒り狂いそうになった時期もありました。
「言われたからやる」という姿勢でやり続ける限り、心の豊かさが感じられることはないし、いつまで経ってもそこに自分の自由意志はなく、誰かの奴隷で居続けることになると私は思っています。
親に言われたから
先生に言われたから
コーチに言われたから
先輩に言われたから・・・
子どもの頃から「どうして言われたからやらなければならないのか?」と、いつも悶々と自問自答をしていたことを覚えています。
言われたからやらなければならないって誰が決めたの?
もちろん、ここに対して疑問を持たない人も多くいるでしょう。それが当たり前として育ったからというのもあると思いますし、そこに対して疑問を持つ余地を与えられない環境に身を置き続けているとそれが自然とデフォルトになり、その発想すら出てこないようになってしまうと感じます。
この状態は非常に危険だと私は考えています。ある程度の人権が保証されている現代社会において、この「言われたからやるという姿勢」は自らを束縛し、自由意志を自ら放棄してしまっている状態。さらにそういった姿勢の人が多く集まることによって圧倒的管理社会が形成されてしまうと感じています。
言われたとしても自らその意味を考える
基本的に、全てのことに意味などないと私は思っています。それは、人がある物事や事象に対して意味付けをすれば意味のあるものになるし、逆に意味がないと思えば意味がなくなるからです。
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みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。