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想像を超えた自分

#想像していなかった未来

今から未来を想像してみる。色んなことを想像する。直近の未来、数年後の未来、5年後の未来、10年後の未来。

20代後半までは想像していた未来が面白いくらいに現実となり、「未来においてこうなっていたいという自分を思考すれば、未来から導かれるようにその道を辿って実現できる」という感覚があった。

しかし、その方程式はある一つの出来事をきっかけに崩れ去っていく。


離婚

私は24歳で8歳年上の方と結婚した。25歳までに結婚したいと想像していた私にとって、これも想像したことの一つが現実となった出来事の一つだ。サッカー選手としても思い描いたことはほぼ現実となっていたので、多分ちょっと調子に乗っていた。いや、ちょっとどころか相当調子に乗っていたかもしれない。

ドイツと日本で離れて暮らしていた私たちは、年に2回しか会うことが出来ず、毎日のビデオ通話でコミュニケーションを取っていた。そんな関係が4年続く中で少しずつ歯車が崩れ始め、最終的に離婚という結末を迎えた。

この決断をする日が来るなんてまさか結婚当初には想像することなんてできなかった。現役のうちに子どもを産んで、復帰して、またW杯に出て・・・なんていう未来も想像していたが、この離婚をきっかけに想像していなかったことが起こり始めた。そして、未来を想像するのが困難に感じるようになっていった。


日本代表から離れるという決断

2016年のリオ五輪出場を逃し、代表監督が佐々木則夫監督から高倉麻子監督に変わり、最初のアメリカ遠征、そして2回目のスウェーデン遠征に招集された。

メンバーも大幅に変わり、監督や協会の方針に疑問を抱くようになり、自分自身に問いかけるようになった。

「何のために日本代表選手として戦うのか?」

特に2回目のスウェーデンキャンプ中、色んな葛藤が私の中ではあった。プロ選手としての扱われ方に違和感を抱き、間接的な言葉の暴力を受けることもあった状況下で、私の中で「ここ」で戦う理由を見つけることができなかった。

そして、キャンプの最終日に「今後はクラブチームの活動に専念したい」という意向を伝え、日本代表を去る決断をした。

その次のW杯、そして東京オリンピックでプレーする自分を想像していたが、その自分が全く想像できなくなってしまったからこそこの決断をするに至ったと思うが、日本代表を自らの意志で去るという選択をする自分は全く想像していなかった。みんなに惜しまれ、華やかに引退する自分を想像していた。

しかし、現実はまるで違った。


ヨーロッパからアメリカへ

リオ五輪予選敗退のショックから立ち直るのに時間を要したのはもちろん、選手としてこれからどうしていくのか?という難題が立ちはだかった。それは、日本代表でプレーすることに依存していたことが大きかったからだ。ここから、私の「サッカーする目的探しの旅」が始まった。良きタイミングで話をもらい、7年半(2010年〜2017年6月)過ごしたヨーロッパを離れ、アメリカへ行くことを決断。

中学1年生の時の進路希望調査票で「アメリカでプロサッカー選手になる」と書いたのは今でも覚えている。結果、最初にドイツに行ってプロサッカー選手になることになったが、時を経て、この夢が実現することに。

このアメリカ(シカゴ)への移籍が、サッカー選手としての私にプレーをする新たな目的を与えるきっかけとなった。

アメリカ人のドライな人付き合いとライフスタイル、人の多様性は、私の価値観に衝撃を与えた。クソ真面目なドイツで6年過ごしたせいか、価値観が凝り固まってしまっていたようだった。

新しい価値観を取り入れることに対して抵抗感と警戒心の強い私は、少しずつではあったが思ったよりも早く柔軟に受け入れ、吸収され、良い意味でAmericanized されていき、真面目すぎる性格が良い意味で調和されていった。


選手としての技術的成長×アメリカサッカー

私は、自分がサッカー選手であることを恥じることが多々あった。それは、プレーをしている時の動きが「サッカー選手の動きになっていない」と感じることが多かったから。

もう少し正確にいうと、動きに無駄が多くぎこちない、不器用に見える身体の使い方をしているがゆえに、本当のプロサッカー選手とは程遠い動きになっているということ。

この自分がものすごく嫌で、もっとサッカーが巧いサッカー選手になりたいと思ってはいたものの、一向に想像している自分になることができず、ありのままの自分を受け入れて不器用なりにやっていくしかないと思っていた。

だが、2人のトレーニングコーチたちとの出会いがきっかけでそれから今まで約10年間、現役を続けられていることもそうだが、自分でも想像していなかった動きやプレーが体現できるようになっていったことが想像以上だった。そして、今でもその変化は続いている。

自分の身体がうまく操作できなかった私に対して適切な処方箋(トレーニング)を提供してくれたことがここまでプレーを進化させるとは想像していなかったし、ピッチ上で得る感覚が変わり、景色が変わり、今までにないサッカーの「楽しさ」を味わえるようになっていった。

サッカーを始めてから25年の時を経て、初めて、自分がサッカー選手らしい動きをしている!と実感できるようになった。

背骨を一つ一つ動かすことら始まり、肋骨を横にスライドさせる動き、股関節の可動域拡張、肩甲骨を剥がす立甲など、今までアプローチしたところのない箇所にアプローチをし、呼吸、横隔膜、姿勢、指の使い方、眼球、舌の位置といったさらに身体の細部まで意識して変化を加えていく毎日。

毎日脳疲労で眠れないこともあったけど、信じて毎日取り組んだからこそ生まれた変化で、そういう日々の変化を実感することが少しずつ自信に変わり、想像していない自分に未来で会うのが楽しみになっていった。

さらに、アメリカサッカーファンの熱量やエネルギーの違いをスタジアムで感じるようになり、ファンが放つ高エネルギーも私のパフォーマンスに大きな影響をもたらした。特に2019年は、心の中は常に喜びで満たされていた。


2回目の結婚、慣れ親しんだ街を離れて

2018年に今の夫になる方とシカゴで出会い、2022年に結婚。まさか自分が再び結婚するなんて、しかもアメリカ人となんて、離婚した後は想像もしていなかった。人生何があるか本当にわからない。

6年間過ごしたシカゴを離れ、今年2024年はヒューストンに移籍。36歳にしてもまだ環境を変えて挑めるのは理解ある家族の存在があってこそ。夫もシカゴでの仕事を辞め、一緒に引っ越しを決断したものの・・・

ヒューストンでの1年間は、想像を超える苦難の連続だった。全てのことに対して素早い適応が求められ、最下位という結果より何より、今シーズンは激動のシーズンだった。シーズン中の監督交代、GM解任、そして、出場時間を与えられないという苦痛を味わったシーズンでもあった。

自分自身の価値を認められてクラブに必要とされていると感じたから決断した移籍だったが、そのクラブからの期待とは裏腹に、監督には評価をされていない(あまり必要とされていない)ことを感じざる得ない状態で始まったシーズン。

そういった状況下で、チームの中でどのように振る舞っていくのか。

自分を表現することを制御されたことで自信を失い、本来の自分のプレーが一思い出せなくなって自暴自棄になりかけたり、やる気を失いかけ、サッカーを辞めようとすら思ったほど、自分自身の精神力が試された1年だったと今では思う。

監督がシーズン途中で変わってからは、出場機会が増え、終わってみれば監督交代後は全試合スタメン出場。今まで一度も見たことないようなシュートも決めることができ、自分でも驚いたほどだった。

どんな扱いをされても腐らずにやり続けることは容易いことではないけれど、それができた時に初めて神様は味方してくれるという信じる力があったからこそやり抜くことができたと思うし、夫と愛犬のサポートがなければ持ち堪えられなかったと思う。そして、この年になってもこういった境遇に置かれることに感謝したい。


時に人は苦しみや苦痛を必要とするのかもしれない。それは、想像を超えた自分に出会うためであったり、成長が必要な時に自然と訪れるのかもしれない。

「想像しなかった未来」という言葉は、サプライズ的な意味で使う方が私にとってはしっくりくる。だから私はここでは「自分の想像を超える」という言葉を使いたい。

自分の想像を超えていくためには、新しい環境に飛び込むことであったり、苦境に立たされてもそこで折れずに続けること。それが新たな道を作り、人生の選択肢を広げていく。

人生は簡単にいかないからこそ面白い。そうやってこれからも人生を楽しんでいきたい。

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永里 優季
みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。