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味方にとって予測可能な選手

これまで様々な国、様々なレベルのサッカーを経験していく中で、男女問わず沢山のサッカー選手とプレーしてきました。プロとしてプレーし始めてから今年で13年目を迎えますが、私が見て感じてきたこの10〜15年間でサッカーは大きく変化していると感じています。


私のサッカー人生は「何がレベルの高いプレーなのか」という問いに対して自問自答を繰り返してきた人生なのかなと今振り返ると思いますが、この問いに対する答えは結局自分の中にしかないような気がしています。


日本、そして世界各国でのサッカーを自ら体感しつつ、インターネットの発達により各国リーグの試合を10年以上前よりは見れる機会が増え、それぞれ比較もしやすくなってきました。


ただ、私にとっては実際に体感してみないとわからないというのが正直なところなので、画面越しに見ているだけでは本質的な違いや変化を感じるのは簡単ではないですが、それでもやはり気付くことはあります。


何をもって上手い選手なのか、何をもってレベルの高い選手なのか。


これはずっと長いこと自分に問い続けている課題でもあり、ステージが変わるごとにこの問いに対する答えもアップデートされてきたし、だからなのか自分自身に完璧に満足できない状態で今も変わらずサッカーを続けている感覚があります。


ただ、これに関する答えは個人の価値観というフィルターによって異なると思いますし、私が思うレベルの高いと、皆さんが思うレベルの高いは同じであるとは限らないですし、また違うとも限らないということなのです。


私は海外に出てからは運良く世界のトップで活躍する選手たちと一緒にプレーする機会や、対戦相手としてプレーする機会に日常的に恵まれてきました。


そういった選手とプレーし空間を共にしていく中で無意識のうちに刺激を受け、感化されていった部分もたくさんあったと思っています。


ポツダム時代に一緒にプレーしたバイラマイ(独)アニャ・ミッタグ(独)は今でも私の中ではベストプレーヤーの1人ですし、チェルシー時代にはソヨン(韓国)、ボルフスブルグではリナ・マグル(ドイツ)、そしてシカゴではサム・カー(豪)アリッシャ・ネアー(米)モーガン・ブライアン(米)など、インターナショナルレベルでも活躍している選手たちとプレーすることができました。


そして彼女たちに共通していたのは、「味方にとって予測可能な動きをする」という点。これは何を意味するのか?

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みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。