ただの生意気だった。それでも後悔はしていない
現在、FIFAワールドカップ2022 inカタールが開催されていて、日本がドイツとスペインをグループリーグで破り、首位で決勝トーナメント進出を決めたところで、このブログを書き綴っています。
そんな気持ちに駆られるような心情にさせられたと言いますか。日本の躍進を嬉しく感じながらもある選手のインタビューでのコメント、それに対する周囲の反応を見ながら、2011年のW杯の時の自分を思い出していました。
正直、私にとってあの時のW杯に良い記憶はあまりありません。ワールドカップ優勝の話をされると、トラウマ的に嫌な感情が蘇ってしまいます。
当時、私がどんな信念を持ってW杯に挑んでいたのかは、世間の多くの人は知りません。
SNSがそこまで普及していなかった当時、Twitterが少しずつ浸透してきた時期で、私自身も2010年から始めていたのですが、そのTwitter上でだいぶひどいことを言われたことを記憶しています。
決勝トーナメントに入ってからは、アメブロのコメント欄でもTwitterでもとにかく批判され、叩かれ、決勝でのモーガンのゴールの戦犯扱いにされ、さらにPKではソロに止められ、しまいにはブスや消えろと言った暴言も届き、本当に消えてなくなりたい気持ちでいっぱいになりました。
ワールドカップ後には、日本に帰国した時にのった電車の中吊りに「扱いにくい女子のマネジメントの仕方」(雑誌AERA)みたいな見出しが私の名前か写真と共に掲載されていて、そういったものを目にするたびにひどく落ち込みました。でも、心のどこかにこんなこと言われても仕方ないかと思っている自分もいました。
当時の自分は、ドイツで得た自信によって自分が一番点を取れると思っていたので、周りが自分の点を取れるやり方に合わせるべきだと思っていました。
ドイツに渡ってからポジションを掴み、ブンデスでもチャンピオンズリーグでも得点を量産し、自分の得意な得点パターンが分かっていたからですした。一言でいうと、全てを合理的に考え、得点を取ること以外に無駄なことは一切しないというスタイルでした。
それだけが私の仕事だと考えていましたし、それができなければ自分の存在価値を見出すことはできず、このチームにいる意味はないと思っていたからでした。
ワールドカップではFWとしての仕事=ゴールに対する執着が最高潮に達していた時期だったと思います。
自分のやっていることが一番正しいという考え方というか、それ以外は間違いとすら思っていました。
そんな自分を嫌いになった人はたくさんいたと思います。
生意気でだし、口だけだし、下手だし、実際初戦以外点取れなかったし。
そして、チームが勝ち進むたびに複雑な気持ちになっていき、チーム内での自分の居場所すらも失いかけていました。
大会中に迎えた誕生日を安藤選手の誕生日と共に日本食レストランでチームに祝ってもらっても素直に喜べず、どう反応していいかもわからず微妙な空気を作ってしまったり。でも、そんな自分でもチームメイトは見捨てずに救ってくれました。24歳の小生意気で不器用で泣き虫な私を。
当時に書いていてたノートが今でも残っているのですが、読み返すのが怖くて閉じたままでした。昨年あたりから過去の自分をようやく受け入れるだけの余裕ができたのか、読み返して、それを公開することに決めました。
(現在こちらのファンクラブブログでで過去に書いたノートを公開中)
準決勝スウェーデン戦の前に書いたノートを、一部抜粋して紹介させて頂きます。1人フランクフルトのカフェに出かけてこれを書いたのを今でも覚えています。
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