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図書館で借りた「ある絵本」が、父とのエピソードを掘り起こしてくれたお話

本を読まない私が、なぜ今ライターとして食べていけてるんだろう……

よくそう思っていた。

まわりにいる素敵なライターさんたちは、みんな読書好き。「本が好きな人は文章がじょうず」、そんな言葉も日ごろから耳にする。

決して本がきらいなわけではないし、直感的に読みたい!と思い立った小説や、尊敬するライターさん、作家さんの作品は読む。そしてその本を好きになることも、ある。

だけど、昔から本をたくさん読んできたかと言われると、全然そうじゃない。とくに中学生から20代後半までは、ほぼまったく読んでいない。実家の元自分の部屋の本棚にならぶのは、スピリチュアル系の本とか、恋愛の自己啓発本、ちょっと真面目なもので英文法のテキストとか、そんな感じだ。

本好きじゃないといいライターになれない、必ずしもそうじゃないのはわかっている。けれど、なんとなく気後れしながら過ごしていた、そんなとき。

図書館で予約した絵本8~9冊を、いつものように受け取りにいった私。図書館で借りられるのは10冊が上限だから、あと1~2冊借りよう。そう思って、受付カウンターに行く前に、向かいにある絵本棚を眺めた。

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すると、ふと「て」のカテゴリに、見覚えのあるタイトルが目に入った。

「手ぶくろを買いに」

「あ、これ……!」私は思わず、棚から絵本を抜き取った。表紙をみて、懐かしさがふわっとこみ上げる。立ち上がり、そのまま受付カウンターへ持って行った。

その夜、借りてきた絵本を、息子たちに見せた。「今日はこんなの借りてきたよ。どれ読む?」

息子たちは「手ぶくろを買いに」じゃない絵本を、1冊ずつ選んだ。私はその2冊を読み終えて言った。

「ねぇ、これ見て。お母さんがね、あなたたちと同じくらい小さかった頃に、よく読んでた絵本なの。読んでみない?」

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表紙をチラッと見て興味がわかなかったからか、息子たちは「え~」と面倒くさそう。それをよそに、勝手に読み聞かせを始める私。息子たちも両脇にくっつく。

読み進めるほどに、「こんなに綺麗な文章だったんだ……」とうっとりした。子どもの頃に印象にのこったのは

「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」

引用元:「手ぶくろを買いに」1988年、偕成社

だったのに、今は、美しすぎる風景の描写に目がいく。

「真綿のように柔らかい雪の上を駆け廻ると、雪の粉(こ)が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした」

「暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮かびあがっていました」

2~3ページで飽きてしまった次男とは裏腹に、意外にも真剣に聞き入る長男。だけど、その長男も途中でうとうとしてしまい、「つづきは明日ね」と言って、その日は電気を消した。

数日後、車で15分の距離にある実家を訪れたとき。夕食後に息子たちがわーきゃーと遊びまわるなか、私はダイニングテーブル越しに、父に言った。

「こないださ、図書館で『手ぶくろを買いに』見つけたんだ。それで読んだんだけど、すっごく懐かしかった」

すると、父が椅子にもたれかかりながら言った。

「ああ、あれは毎日読んでたよ。お前が小学2年生ぐらいまでかな、毎晩一緒に読んでた。いい絵本なんだよなぁ」

「え、毎晩!?」

ぎょっとする私に、母がキッチン越しに言った。「うん、毎晩。『手ぶくろを買いに』と『モチモチの木』と、『花さき山』はもう、3才くらいから毎っっ日お父さんが読み聞かせてた」

「そうなんだ……」

(たしかに「モチモチの木」は、懐かしくて息子たちがだいぶ小さな頃に買ったな。「花さき山」も一度、図書館で借りた……)

「手ぶくろを買いに」は、きつねの親子からみた銀世界の風景がそれはそれは丁寧に描かれていて、そのぶん5才と3才に読むには、ちょっと長い。読み聞かせる側も、途中で舌がもつれそうになるくらいだ。

そんな絵本を、毎晩読んでくれてただなんて……(しかも小2まで)。

父からこの話を聞いて、私は過去に思いをめぐらせた。そして、いろいろと腑に落ちることがあった。

なぜ勉強ぎらいで数学や化学で赤点ばかりとっていた自分が、国語だけはいつも満点だったのか。

なぜクラスのみんなが苦戦している国語の記述問題を、すらすら解けたのか。

なぜ文系の大学に合格でき、こうして今、文章をお仕事にできているのか。

なぜ子どもと遊ぶのは得意じゃないのに、読み聞かせだけは楽しくてたまらないのか……。

すべてが父の読み聞かせのおかげだという証拠はどこにもないけれど、不思議と、心の奥底から自信がわいてきた。

私は生粋の読書家ではない。憧れの「本の虫」にも、今からはきっとなれない。でも父がこの素敵な絵本を、小2まで毎晩読み聞かせてくれていた。だから、大丈夫。

たとえ思い込みだったとしても、父との記憶は、私の自己肯定感をぐっと上げてくれた。

ところで、父と母はつい最近まで、「私の育て方」を後悔していた(と思う)。直接そう言われたこともある。それはきっと、私が父と母の理想とかけ離れたふうに育ったから。

父と母は教育熱心なほうで、おそらく私には、普通の学生生活を送ったらある程度のレベルの4年制大学へ進み、銀行員や公務員、大企業の社員といった、当時でいう“一生安泰”の道を歩んでほしかったのだと思う。

でも私は、中高時代はグレて家に帰らないことが多かったし、短大卒業後は転職を2回し、3社目は次男の出産を機に退職した。父には胸ぐらをつかまれたこともあるし、母の涙も何度もみた。

それが先日、私の記事がダイヤモンド社に載ったことを知って、父と母は目を丸くした。

母「だ、ダイヤモンド社ってあなた!」
父「ほぅ……」

「お父さんが読んでくれた絵本、今も覚えてるよ」と伝えると、「そうか、覚えてるか……」と父。

なんだか、ほんのすこし恩返しができたみたいで嬉しかった。当時39歳だった父の声が、今も聴こえてくる気がする。


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