メトロノームの間で動くこと
家にあるホワイトボードに、「人の命に上下無し」と、いう言葉が書いてある。
私たちはやはり、生きていればどこかで「目の前の人」と「私」を比べてしまいがちだ。
比べているのは多分、見た目や、学歴、経験など沢山のこと。日々比べては、喜んだり、落ち込んだりしている。
何かを比べているときは、頭の中で、メトロノームがカチカチとリズムを刻んでいる。二つの選択肢を行ったり来たりしながら。
メトロノームのネジはいつか止まるモノだ。
ある時突然メトロノームが止まったらどうするのだろう。
メトロノームに頼って、自分というモノが存在してなかったのであれば、「私は何を思っているのか分からない」という状態になるのかもしれない。
「好きなモノが分からない」もそのパターンなのかな。
私たちの頭の中にメトロノームは、実は、必要ないと思ったらどうなるだろうか。
本当に在るのは、「私」という1人の人間の思考だ。
私もメトロノームを頭の中にぎゅうぎゅう詰めで、5つくらい持っていたけれど、先日半分手放した。
そうしたら、今までカチカチと響いてた振り子の音が少なくなって、前より自然の音が耳に入ってくるようになってくれた。
風の音、雨水の音、何かが動いている音。
不規則な音は美しいと思う。
音に耳を傾けながら、私が今気になっていることを挙げてみる。
普通、当たり前、常識、上下、男女という言葉。
そこに、異端、的外れ、非常識、左右なんて言葉を加えたらどうだろうか。
出来る出来ないで選り分けされていた、角ばった世界は、ちょっぴり角が削れて、ぶつかっても痛くなさそうになった。
そうそう。喧嘩をするにも怪我をしないことが一番だから。
これからは、怪我をしないように、ぶつけても痛くないようにしなくてはいけないのかもしれない。
どんな「ふち」をしているのかも分からない、尖ってるのか、ふにゃふにゃなのか、滑らかいのか分からない「ふち」。
けどきっと、「ふち」は私たち一人ひとりがもっているモノ。
見ることも、触ることはできない「ふち」。しかし、大きく息を吸ってみることで、感じることはできるかもしれない。
メトロノームのように、規則的なモノで判断することは時に、私たちの進む道に靄をかけることがある。
しかし、これから先は機械と共に生きていかなければならない。
これからは、機械の「ふち」を感じ取る力も必要になってくるのだろうか。
実は今、雨がたくさん降っていて、怖くて目が覚めた。
そのおかげで、昨日の夜に何があったのか、noteを書き始め、いつのまにか寝落ちしていたことに気がつく。
雨のように、ある時突然降りてくる、
言葉というモノはときに私を惑わし、
びっくりさせるけれど、
これからも、仲良く付き合って行きたい。
言葉には命があると思うから。
最近2222という数字をよく目にする。
どうやら、数字も私と友達になりたいようだ。
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