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手to手の橋渡し

誰かが行ってる”どこか”が気になる人はいるだろう。

“あの”ものや、”あの”人が気になる人もいるだろう。

会いに行ってみたいけれど、”あの”場所に行ってみたいけれど、理由があって遠くに行くことができない人もいるだろう。

それだったら、私が目となり、手となる(足じゃないのは、最近私膝痛いからw)

だから、行きたい”どこか”に行く日までに、”どこか”とつなげておくことが私はできる。

それは、遠く離れた人が地方を応援する第一歩じゃないか。

外から物が入らなくなるかもしれないとき、都会の食料は、これからもっと地方で生産されるだろう。

それならば、できるだけ、地方にいる知り合いや、信用できる人に野菜を作ってもらったり、フルーツを作ってもらって、その対価として相応のお金を渡したいと考えるのではないか。

私の家では、自分の大切な人たちの、生きるための食を私の畑で賄えるよう、循環することができるようにしたいなーと思い立ち、春から鶏を飼うことにした!

ここしばらく、旅で出会った農家さんの商品を販売する機会があり、思うこと。

生産者と呼ばれる人と深く関わるようになって思うこと。

多くの人に知られていないところで、こだわりを持って何かを育てる人は沢山いる。

百貨店などで取り上げられている影では、早朝から夜遅くまで汗水垂らして働く姿がある。

私たちが、「美味しい」と口にするまでには、作る人や、売る人、調理する人やたくさんの手が加わっている。

手の重なり具合で価格が決まっているのであれば、私は直に生産者の手から、食べたい人の手に渡る、手to手が最高だと思う。

手と手を合わせて頂きますという言葉もあるし、極力物に対して、たくさんの手が加わらない方が良いのではないか?
ちゃんとしたお金が作った人に渡るのではないか?


前置きがとてつもなく長くなってしまったけれど

私が一番言いたいことは

その”人”や”もの”を伝えるツールは言葉だ。(動画や写真もあるけれど)

伝えることはとても簡単。

けれど、言葉に信用をのせることは

とても大変。

多くの時間がかかるから。

そうやって、時間をかけて本物と出会うから、本物はお金がかかって当然なのかもしれない。。。


信頼できる人が話す言葉は、すーっと入ってくるだろう?あれだよあれ。

あれになりたい、木曜日の朝。

そろそろレモンのシーズンが終わる。

来年は出会った人のいろんなものを販売する予定だから、とりあえず商店の名前を考えてる。

旅をしながら季節のものを売る副業!

このような私の野望は、無料noteでよいのでしょうか?

朝、まだ頭にモヤがかかっている時にnoteを書くと、それはそれは本音とも言えしき何かが出てくるなー。


やるならトコトンな私だから、もちろん全部本気w

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