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国籍をも超えてひとつの”にんげん”であることは間違い無いのだけれど

またまたリニューアルオープンに加わったことで、ここ1ヶ月ほどお客さんが9割外国人のカフェで働いている。

お客さんとのやりとりはカタコトだけど全て英語なもんだから、外国にいる気分で働いている。

しかし、ここは日本で私は日本人だ。
当然日本のお客さんもやって来る。すると必然的に日本人と、外国人を比べてしまうのが私であって、さらに深く考えてしまうものだ。

先に言っておくが、これはあくまでも私の考えであって、全てが当てはまるわけではない。私は日本が大好きな人の1人である。

小さな子供でも、ティーンエイジャーでも、お年寄りでも自分のものは自分で注文する彼ら。だから、それぞれが同じものを注文する場合であっても、一人一人がオーダーするから書くのはちょっと大変ww主語は、私は〜(for me~)
いい感じにまとめて注文してくれる私たち。

お店にはいってきて、ほとんどが目を合わせてハローとコミニュケーションを取る彼ら。
半分くらいは無言で入って来る私たち。

eye contactで店員を呼ぶ彼ら。
すみませーん、と店員を呼ぶ私たち。

お釣りの小銭はレジ横のチップ入れに入れてくれる外国人。
ちゃんとお釣りの確認をしてお財布にしまう私たち。
基本誰かの粗探しをしているように感じた、私たち。

外国人の彼らは観光客だからかもしれないが、多くの余白があるように思える。
彼らもそれぞれの国に戻れば、目を合わせることもなくなるのだろうか。

最近私は縄文時代にハマっていて、歴史を遡っているのだが、とても素敵な歴史が日本にはある。

私のルーツ。

私は日本で生まれた、日本人である。

しかしながら、最近”それ”にしっくりこない私もいる。

私たちはなんだろう。
何に焦っているのだろう。
ありがとうと素直に言えないのは何故だろう。

いつもと少し変わったカフェで働くことで、より私は”日本人”と周りから見られ、私は日本人であることを強く感じた。

私が思う日本人ばかりではないことは分かっている。しかしながら、日本人でありながらも、この私で過ごすことのできるもっと心地よい場所が、どこかにあるのではないかと思ってしまう部分もある。

この世界に。

この地球のどこかに、私が私らしくいられる、過ごしやすい場所があるのではないだろうか。

私は日本の文化が大好きだ。
土地も、食も、
素敵な日本人もたくさんいる。
私は他の誰でもない私なのだけど、
外国人に囲まれているほうが、自分らしくいられている気がした。

新たな自分に対する発見が、
驚きと、喜びと、少しの悲しみ。
そんな感情と共に現れたのだ。


いろんなことを確かめるため、私はやっぱり海外に行く必要があると確信した。

p.s.彼らにおすすめの店を聞かれたら、私は全力で味噌屋を紹介しています!!!w

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