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洗脳された3年間の記憶

7年以上前の経験そのものやそれに似た内容の夢を、今でもたまに鮮明に見ることがある。いやむしろ「夢を見る」というよりも、「悪夢にうなされる」と表現すべきかもしれない。

それは忘れたくても忘れられない中学校三年間の記憶であり、大抵その狂気さから、かなりの汗をかいて目が覚めるのだ。



9年前、小学校を卒業した私は、特に受験などするわけでもなく、そのまま市立の中学校に入学した。

その中学校は生徒数が多いことで有名であり、1学年10クラスほどもある学校であった。また人数の影響もあってか、部活動も盛んで、陸上部や水泳部は九州大会や全国大会へすることも珍しくなく、吹奏楽部に至っては県のコンクールで金賞以外ありえないといった具合だった。

また合唱コンクールにも力を入れており、私が通っていた当時は、毎年県内の有名な音楽ホールを貸し切って行われていた。

たかが市立の中学校のどこにそんなお金があるのかと疑問に思うところもあるが、おそらくこれも尋常でない生徒数が影響しているのだろう。あいにく体育館は通常の大きさであったため、ホール貸し切りというのもやむをえなかったのかもしれない。

さて、ここまで私の出身中学について、華々しいところばかりを取り上げたが、私は二度とこの時代に戻りたいとは思わないし、仮に将来、子供ができたとしても、こんな学校には決して入学させたくはない。冒頭でも言ったように、私はこの時代の思い出が想起されるような「悪夢」にうなされることがあるのだ。

端的に言うと、この中学校は「伝統」「連帯責任」「パワハラ」といった、まるで日本の戦前から戦後の思想が詰め込まれたような学校であった。これらのような思想で生徒を「洗脳」するような宗教だといっても過言ではないかもしれない。(あくまで私が通っていた当時の話であって、現在がどうであるかは全く定かではない)



8:25からここでの1日が始まる。この時間のチャイムの音と同時に、校舎中に「もくそーう!」という各学級委員の声が鳴り響く。

そう、朝の5分間黙想である。目を瞑り、姿勢を正したまま、ただただじっと座る時間が5分間続くのだ。

ただただ苦痛な時間である。誰も得をしない。しかし、やらなければ先生に目を付けられ、こっぴどく叱られる。仕方なくやるしかない。

入学当初は、この行為に一体何の意味があるのだろうと疑問に思ったことを覚えている。先生曰く、「1日が始まる前に心を落ち着かせるため」ということだったが、もしそれなら何も5分間もやる必要性がない。せいぜい数秒、十数秒あれば十分だろう。

今となってはこの異常な習慣の正当性に疑問しかない。「伝統」をただただ盲信しているに過ぎないのだろうが、入学してからしばらく経った時、私はその意味を問うことすらやめてしまうほど、これが中学生にとって当たり前のことなのだと受け入れてしまっていた。

また、毎授業の前にも当然のごとくルールが存在する。授業開始の3分前に入室、2分前に着席、1分前に黙想だ。

貴重な10分間の休憩時間のうち、3割を持っていってしまうというこのルールも、今となって甚だ疑問ではあるが、もう当時は完全に染まり切っていたし、生徒会役員に至っても、生徒総会で「3,2,1分前行動の徹底!」などと高らかに公言するほどであり、だれも疑問を投げかけようとはしなかった。

「この学校の『伝統』だから。」その一言で、今までにいったい何人の生徒が言いくるめられてきたのだろうか。たかだか創立30年ちょっとでなにが伝統といえるのだろうか。



ところで生徒総会といえば、学年主任や生徒会役員が常々口にしていた言葉がある。

「他人の将来を思い、気づき、考え、行動しよう」

これは、ルールを破るなど、間違ったことをしている人に気づいたら、このままだと間違い続けることになると考え、注意するなどの行動に移そうという考えである。

まあこれに関してはある意味では有意義な教えなのかもしれない。

かくいう私も、いい人間関係とは、相手が道を踏み外しそうなときには、決して見捨てることなく、叱ってでも、怒ってでも、最悪の場合には手を出してでも止めてあげられるような関係にあることだと思っている。

しかしここで問題なのは、強要盲信なのではないか。

人が集まれば、必然的にいろいろな考え方をする人たちがいることになる。勉強が好きな生徒もいれば、スポーツや絵を描くことが好きな生徒もいる。目立ちたい生徒や真面目な生徒、中にはあえて反抗的な態度をとるような生徒や、悪いことをするのが面白いと思うような生徒だっている。

それに伴って当然、好きな人と嫌いな人が出てくるのであって、その中でもうまく折り合いをつけながら生活していく必要はある。

しかしながら、たまたま同じ学年、同じクラスになっただけの「他人」全員とそんなに良好な関係を築くのは現実的に難しい。そもそもそんな関係を築きたいと思えないような人だっていた。(近所のスーパーで万引きしたり、中学生にして喫煙したり原付を乗り回したりするなど、一部の生徒はかなり荒れていた)

そんな人たちに対して、たとえ勇気を振り絞って声をかけたとして、その意図は正しく伝わらないことがほとんどだろう。だって向こうからしてもこちらは馬が合わない人だと思われているのに、そんな人に注意されてもただの余計なお世話でしかない。

しかも、「他人の将来を思い、気づき、考え、行動しよう」というこの文言は世代が入れ替わっても変わることはなく、「伝統」が私たちを縛り付けているいい例だった。(少なくとも私の兄弟も含めて在籍していた10年弱は続いていた)

でもやらなければならないような仕組み、環境はすでに整っていた。

そう、「連帯責任」である。

クラスや部活など、組織の誰かができていなければその組織のリーダーや組織全員が怒られたり、時にはペナルティが課せられたりする。

そしてリーダーやそれ以外の大多数にむけて放たれる言葉は大体決まってこうだ。

「『他人の将来を思い、気づき、考え、行動しよう』っていつも言っているのになんでできてないの」と。

怒られたいと思う人はもちろんいないだろうし、こんなことのために時間が割かれるのもだれも望んでいない。だからたとえ本心でなくとも、自我を押し殺して、注意し合わなければならないのだ。

そしてその時の状況や担当教員によっては、稀にペナルティが課せられる。

例えば、部活動において部員が頭髪検査に引っかかったために、数日間活動停止となり、代わりに奉仕活動するというのはまだ珍しくないのかもしれない。

しかし私がここで経験した「連帯責任」はこんなものではない。


中学1年の最初の体育は集団行動というのは定番だろう。そして私のいた州学校ではラジオ体操のテストがあったのだが、ここで初めて連帯責任を経験したかもしれない。

ラジオ体操のテストとだけ聞くと、なんだ普通じゃんで終わりそうなのだが、ここでのラジオ体操は特殊なのである。

まず、音源は無し。我々が自ら「いーち、にー、さーん、しー」と声を出さなければならないのだが、この出さなければならない声量のレベルが尋常でない。

加えて、原則として関節は指先までしっかりと伸ばし、力が入っている状態でなければならない。声とも相まって、一度通しで行えば息切れ必至である。

要するに、全力でラジオ体操ができたら合格ですよというテストであって、これを受かるまでやり続けなければならないのだが(この時点である種の洗脳にかけられているような気がしなくもないが。)、問題はグループ単位で試験を受けに行かなければならないことだ。

つまり、たとえ自分はどれだけ正しく行えていて、声も出せていたとしても、グループのうちの誰か一人が、体操の順番を間違えたり、声が小さかったり、一瞬気が緩んで力が抜けてしまったりしてしまえば、その瞬間アウト。再試験である。

記憶の限りでは、我々のグループは4,5回試験を受けなおした。いくら声を出せど、声が小さいと一蹴される。しまいには喉もつぶれ、声が出ない中、「全力です!!」と言わんばかりの表情でも訴えかけた。

余談だが、一発で通るグループは全くいなかった。かなり優秀なグループであっても最初は弾かれていたことを考えると、これはほとんど通過儀礼に等しいのだろうが、通過儀礼というのであればやはり宗教的であり、私たちに対して、「正しい行いをしましょう。さもなければあなたを含めた全員に責任があるため、全員で罰を受ける必要があります」という洗脳を植え付けていることに他ならない。


もう一つ忘れられない「連帯責任」の記憶がある。

それは中学3年の英語の授業で起こった。それも2学期かあるいは3学期だったので、受験シーズン真っ只中のことだ。

「授業で起こった」と言ったが、正確には授業開始直前である。

勘の良い人ならもうお気づきかもしれないが、例の「3,2,1分前行動」のうち、1分前の黙想ができていない生徒が数人いて、その状態の教室に英語の担当教員が入ってきた。

そこでその教員は怒り、そしてこう言った。

「お前ら黙想できてなかったから、この授業の終わりのチャイムが鳴るまで黙想しろ。」

記事の前半で、「5分間黙想があーだこーだ」という話はしたが、今回は桁が違う。

50分間黙想は半端ないって。そんなんできひんやん普通。

思わずそう言いたくもなったが、冷静に考えてこの大事な時期に授業1時間分を丸々おじゃんにするわけがない、せいぜい5分から10分程度やれば、先生も気を取り直して授業するんだろうと、私はそう思ったのである。

こうしてひとまず自分を納得させてから黙想し、目を開けている時よりも時間の流れがずっと遅く感じる中でとにかく耐えた。

そうこうしていると、チャイムが鳴った。授業終了の合図である。

本当に50分間黙想をさせられたのだ。

受験が差し迫り、少しでも時間が惜しい生徒も多くいる中で、ほんの一部の生徒がルールを破ったために約1時間この世で最も無駄な時間を過ごしたのだ。

別にその一部の生徒を悪く言うつもりはない。黙想したくない気持ちはわかるし、40人も人が集まっていればそういう人だって必ず出てくる。

ただこの教員のやり方は本当に何がしたかったのか今でもわからない。本気で指導の一環として必要だと思ったのだろうか。時間対効果が悪すぎる。受験勉強の時間が少しでも惜しいこちらの身にもなってくれ。

今でこそ、ニュース等で連帯責任を取らされる事例を見て、連帯責任という無意味な文化について議論されるが、私の出身中学校でも、考え方が既にアップデートされていることを望むが、実際のところはわからない。


さて、先ほどから何度か、生徒会役員やリーダーといった言葉が出てきたが、この学校ではリーダーなどに対する指導が度を越えており、もはや「パワハラ」といっても過言ではないレベルに達していた。

私は部活動がとんでもなく好きだったため、放課後に時間を割く可能性のある、なんらかのリーダーに立候補することはほとんどなかった。ただ、最後の年の体育祭を除いては。


3年生になった私は、最後の年くらい体育祭リーダーなるものをやってみようという気持ちがあった。

体育祭リーダーとは、各ブロック男女12名からなる、体育祭の練習指導や、ブロック演技の企画・構成などを行う、文字通りブロックを率いていく存在である。そしてその12名の中からブロック長、副ブロック長が選ばれる。

私としては、ブロック長はさすがに荷が重いというのが本心であった。先にも述べたように、私はこれまで何らかの行事のリーダーを経験したことはなく、それは体育祭も例外ではなかった。陸上部の部長は務めていたため、リーダーであることに自信がなかったわけではないが、とにかく体育祭についての知識・経験がなさすぎたのだ。

ブロック長は難しそうだし、一般体育祭リーダーとして思い出を残せればいいかなと、最初はそんな軽い気持ちで体育祭リーダーになった。

そして、体育祭リーダー全員が集まる「リーダー会」というものが放課後に毎日開かれることになった。全4ブロックのリーダーたちが集まり、リーダーとしての心構えや、当日までの流れなどが主に話された。

ある日のリーダー会で、ブロック長および副ブロック長を決めることになった。

担当教員がブロック長・副ブロック長になりたい人は立てと言ったところ、数人のリーダーが起立した。

私は当然椅子に座ったまま周りを見渡していたが、次の瞬間、教員の怒号が鳴り響いた。

「ブロック長になる気がない奴は、リーダーやめてしまえ」

言葉自体は定かではないが、このようなことを言い始めた。

先生たちの言い分はこうだった。「全員が組織のトップに立つくらい気持ちでリーダーやってなきゃ意味がない。」

いやいや、一人の絶対的なリーダーと、それをサポートしたり、できないことを補ったりできるような人たちでチーム組まないと意味ないでしょ。

「船頭多くして船山に上る」って言葉知らんのか?

って言いたい気持ちを抑え、その場にいる全員が立候補しなければならないという空気を読み取り、数秒後には全員が起立していた。

「じゃあ誰がブロック長・副ブロック長になっても構わんってことやな」そう先生が言うと、この日のリーダー会は終了した。

後日、各ブロックでブロック長・副ブロック長を決めるためのアンケートが行われた。

その結果、不本意ながらブロック長を務めることになった。

不本意ながらとは言ったが、この時点で、私はすでにリーダー会という名の洗脳にかかっていたため、当時の私的には本心だとそう思い込んでいた。

その後体育祭本番まで幾度となく怒られた。もちろん自分に非があることもなくはなかったが、大抵はブロック全体のことだ。

すべての責任が自分に降りかかってきた。実際社会に出れば、上に立つ者はそんなものなんだろうが、企業などとはわけが違う。こちらはたかだか中学生の集まりだ。それも私が好きで集めた人たちではなく、たまたま同じブロックになっただけだ。

しかも人数は250人を超えていた。指導が行き届くはずもない。今になって考えれば、私の責任という一言で片づけられるような話ではないことは明らかである。

しかし、やはり当時の私は洗脳されていたのだ。

自分に非があるのだ。自分がもっと頑張って、もっと声を出して、みんなに訴えかけなければいけない。

そんなことを本気で思っている時期があった。


体育祭当日の閉会式、担当教員はこう言った。「君たちはよく頑張った。」

最後の校歌斉唱では、リーダーのほとんどの人は目に涙を浮かべていた。

まさに狂気。

終わりよければすべて良しみたいになっているが、生徒たちはただ教員たちの操り人形としてリーダーを演じていただけに過ぎない。

もし、当時の自分に声をかけられるとしたら、「そんなやばい大人の言うことなんて、適当に聞き流していいんだよ」とそう伝えたい。



夢に見るのは記憶通りの出来事のこともあれば、それに近いこと、あるいはなんでかはわからないけど当時の先生から理不尽に怒られていること。

私の通っていた中学校よ、どうか今は変わっていてほしい。

当時ご指導にあたっておられた先生方へ、もう洗脳まがいのことはやられていないことを望んでいます。もしお心当たりがあるのであれば、今すぐにでもやめていただきたい。


ものすごく悪口しか言ってないような内容になってしまったが、これだけは言っておきたい。

あの経験があったからこそむしろ、人がどのように洗脳されていくのかを知れたし、これからの私自身の意思決定をする指針や物事を疑う視点が割とまともな形で形成されたのではないかと思う。

そういう意味では、必要な経験だったのかな。

単なる負の記憶だけで済まさないためには、そうでも思ってないとやってられないや。


今更中学の時のことこんなに書き連ねるなんて、なんだかばからしいな。


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