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#44 自由は行使して育んでいくもの

今日は小論文を書きました。
中学生に触発されてやってみたシリーズって感じでしょうか。
1600字 90分ってところです。
一筆書きではないかもしれませんが、私の練習にお付き合いください
m(__)m


人権作文 テーマ「自由」

内容構成思考 自由を使い育てる 自由権

獲得 自由の行使 自由と責任 自己責任 救う自由と救われる自由

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 「私は自由を行使して育んでいく」

 自由権。学校の社会科で習う中で、一番難しいと感じた権利だ。私は得たり前のように「周りから侵されない権利」だと思って自由という言葉を使ってきた。しかし、自由を獲得するためには長い歴史があり、自由は人類上では認められたもの、手に入れたものだと知った。現在の当たり前が当たり前ではない時代があった。それはつまり、今の当たり前が未来でもそうだとは限らないこということ。「自由」という自由な言葉は時代とともに変化し、解釈や使われ方も様々で他の言葉より一層の深さがある。

 この異質で曖昧で大きな言葉を理解するためには、よく学ぶことはもちろんだが、実際に自由を使うことが大切だ。少し範囲を狭めて日本国憲法下での自由権を確認しよう。精神の自由。身体の自由。経済活動の自由。この三つが自由権だ。ざっくりいうと、どんな考えをしても良く、どんな格好でも良く、どこに住んでどんな活動をしても良い。但し、皆の利益や他人の自由のことも考えながらね。といった感じでしょうか。この但し書きがあるから余計に「どこまでが自由なの」と線引きに苦労する。自分以外のことは自分一人では判断できないからだ。

 だからこそ、自分なりの自由を主張したり、実際に行動で示してみたりする必要がある。机上の空論だけでなく、事例を繰り返すことで、相手の自由と自分の自由の両方についての理解が深まっていくだろう。時には過ちを犯して誰かを傷つけるかもしれない。自分が傷つくかもしれない。でも、法律も人間も万能ではないのだから、間違いを恐れて、欠陥への指摘に固執し過ぎて、何もできなくなってしまうのは、生きていて勿体ない。それこそ、不自由極まりない。自由は使いながら育てていくもの。どんどん使って磨き上げていけばいい。

 とは言うものの、実際に自由を行使するには勇気がいる。何でもできる自由には、責任がセットでついてくるからだ。この言葉を口にしたら、この服装をしたら、この人と話したら…。自分の行動が良く評価されなかった場合の責任は、諸に自分に返ってくる。周りに強制されていれば、言い訳や痛み分けができるので、実は自由ではない方が安心なのかもしれない。現に、自由に生きているように見える人のことを「わがままな人」と否定的な目で見ることが私にもある。自由を先に使われると、後の人は暗黙の了解で自分の自由を制限する。これは道徳やモラルとも呼べる。

 その道徳が身についている人ほど自由に生きることは難しいのかもしれない。そして、強烈に憧れている。皆が皆そうだとは言い切れないが、少なくとも私は自由に恋焦がれている。自由でありたい。一方で他人も尊重したい。いや、他人に悪く思われたくない。自分の行動に責任を負うのが怖い。自由が羨ましい。

 私の頭の中でこのようなマイナス思考がぐるぐると渦巻いている。だからこそ、この場で言いたい。「行動すれば、きっと変われる。」「考え方一つで何かが変わる」もし、自由に行動して、失敗したとしても、私はその人のことを馬鹿にしない。自業自得って爪弾きにしない。だから、私の行動も応援してくれる人がいて、必ず助けてくれる人がいる。そう信じて、私の思う自由を行使していきたい。

 制限され、強制されている時にも不自由を感じ、全くの自由となると何をすればいいのか分からない不自由さを感じる私。でも理想は、強制されないと行動できない自分ではなくて、下手くそなりにでも自分で行動して、自分でちゃんと傷ついて、周りに助けてもらいながら成長していく自由な自分でありたい。

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