深く、広い視野で物を見るためには、己が無いとブレる。
むかし、むかし。とてもむかし。
私がまだ20歳の頃。とある特別養護老人ホームで寮母として働いていた。
何となく、介護の世界に入ったけれど、思っていたより大変で、簡単にできる訳ではない世界だと知り、毎日絶望感に苛まれていた。
まだ、介護保険が始まる前の話。
措置時代の特養は、何でもアリのひどいものだった。
点滴の抜針は当たり前。摘便も。
体調が急変してるが、救急搬送依頼をするか、微妙な入居者の件を、かかりつけ医に相談しようと電話すれば、ハワイにゴルフに行ってて居ませんので自己判断して下さいと、クリニックの受付に言われる始末。
接遇も、なぁなぁで汚い言葉を浴びせる事は日常茶飯事。
職員が上位な変な関係性。特に年配の職員さん。
理事長のこだわりで、布オムツだったこの施設は、昼夜問わず3時間に一度、排泄援助があった。
体調不良者が居ると、検温、水分補給、ドクターもしくはナースに連絡…としていると、あっという間に次の排泄援助の時間がやってくる。
自動的に、流れ作業になるし、多少雑でも仕事の早い人=仕事のできる人という、変な方程式が生まれる施設あるある。
勿論、そういう事ばかりではなかったし、良い先輩も沢山おられて、この時一緒に仕事をした方達とは、今でもお付き合いがある。
ただ私は、介護という仕事を選んでしまった事を、この時は後悔していた。特養での勤務形態が自分には合っていなかったのだろう。
そんな中、夜勤と早出だけを専属でされていた、
Bさんというパートさんが居た。
私の母親よりも歳上で、当時還暦を過ぎたくらいだった。
抜群に口は悪かったが、掃除は誰よりも綺麗にするし、とにかくよく働く方だった。
豪快で強引なキャラだったが、ひとたび何かあると、皆を気遣いながら、スムーズに事が運ぶようにさり気無く陰日向となって動いて下さる。
私は、特にかわいがってもらっていた。
当時、まだ結婚前だったが今の主人と一緒に、
Bさん夫婦のお宅にお邪魔して、4人でお酒を飲んだり、カラオケに行ったり。
おしどり夫婦のBさん夫婦は、私にとって究極の理想のご夫婦だった。お互いの悪口を言い合うくらい、ざっくばらんだったがそれも理想のうちだった。
とにかく、よく遊んで、よく話した。
職場では、接遇が悪いと理事長がよく呼び出しをして彼女を叱っていたが、口の悪い中にも愛がある人で、入居者も、認知症の方が多かったにも関わらず、口の悪さは彼女のキャラクターだと理解をしている人が大半だった。
その証拠に、常に笑顔が絶えない毎日だった。
介護という仕事に対して、まだ何も分かってもいないうちからマイナス要素ばかり見て、絶望感を感じていた私に、光を与えてくれた人のひとりだ。
今でも、ふと思う。
“Bさんならこんな事笑い飛ばして、『気にするな、酒でも飲め』って言うだろうな。” とか
とにかく、“小さい事を気にするな”といつも笑顔で言って下さる方だった。
この時から6年後。
ご主人が病気で亡くなられた、半年後にBさんも亡くなられた。
この時期になると、Bさんの事を毎年思い出す。
接遇の事だけを見れば、良くない手本であったかも知れない。
昔だから許されていた面でもあるだろうし、現在ならばコンプライアンス的に即、解雇だろう。
一番良いのは、接遇もよく他の事も良い事。
そんな事はわかっている。
だが、間違いなく愛情の持ち方や、彼女の明るさの魅力、気遣いは彼女にしか出せないものだった。
ひとつの事しか目を向けない形だと、視野が狭くなり、価値観も狭くなる。
接遇は良くないBさんだったが、他の面では学ぶ事だらけで、良いお付き合いを公私ともにさせて頂けたと思っている。
深いお付き合いで、かつ広い視野で物事を見ると、何を基準に優先順位をつけるか見えなくなる人が多い。
私は、Bさんの良い点を自分なりに活かせるようにしようと、良い所も悪い所も知った上で、
己がどうしたいのかを考えるようにしている。
特に、人の悪い所を揚げ足取りをして、人格も何もかも全て全否定するような風潮の世の中。
反面教師だけでなく、いい所、魅力的な所を自分なりにオリジナルでアレンジしたりしながら、取り入れて行きたいと常に思っている。
ぐるっと回って、現在も介護をしている私を
天国から、Bさん夫婦はどのように見て下さっているのだろう。
どんな時も、笑顔で見守って下さっていますように。
ふと、思い出した20年数前の話。
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