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好きであり続けよう。沼津で誓った約束

船が往くよ。ミライへ旅立とう。



何年ぶりなんだろうか。ここまで心が洗われる光景に出逢えたのは。
鳥カゴのようなコンクリートジャングルを抜け出し、沼津の街でようやく出逢えた心の原風景。
蒼く澄んだ駿河湾、空、富士山。
寒色系?そんな単純に語れる青じゃない。
太陽の温もりによってもたらされた「人肌のように温かい青」。




――――――2024年2月12日。
本来であれば、あわしまマリンパークはこの日が閉園日のはずだった。
お名残り来園は先月済ませてきたこともあって、人だかりのマリンパークには行かずに朝から沼津港をブラブラ。




そこから、三連休限定で千鳥観光汽船が三津浜まで船を出していた。
内浦まで行くバスはマリンパークに行く人で積み残し大量発生、ということで設定されたらしい。

……とはいえ。
三連休最終日のこの日は、ものすごくガラガラ。
昨日も全く同じ時間の便に乗って内浦まで行ったところ、12人ぐらいは乗ってたのに。
あろうことか11時15分の出航まで、私以外誰一人として客が乗り込むことは無かった。




意外な形で始まった一人きりの駿河湾クルーズ。
船は沼津港を出ると、遊覧船の航路と同じく「びゅうお」の下をくぐっていく。
沼津のランドマーク・びゅうおの下をくぐるのは初めてだった。
あの見慣れたびゅうおが、青空の光が反射してほんのり青に染まっていた。




ミラチケとウォタブ。この素晴らしい"青色の世界"で生み出された曲、と言っても過言では無い。
歌詞から溢れんばかりの不退転の覚悟と、全てが清々しい青に包まれた沼津の景色が、これほどの奥深い世界観を創造している。
晴天に恵まれた独りきりのクルーズで、これを聴かざるを得ない。

―――――― やっぱ沼津とAqoursのことが好きだ、私ったら。




しばらく船が駿河湾を進んでいると、松浦果南誕生祭で沸く淡島に近づいてくる。
外周の散歩道は来園者がポツポツと。
しかし、外周路の転落防止柵はボロボロで、自分の足で歩いている時に見た時では分からない箇所の侵食が進んでいた。

―――――― 逆に言えば、そこまで耐えてくれたという証左でもある。
まだ物語は終わらない。
精一杯足掻いたことが沼津で大きなムーブメントを起こし、いずれそれで大切な場所を守り抜くことが出来るのなら……。
この気持ちを持ってして、この先の未来でこの場所に辿り着けることを諦めていないのは、この場所を愛している者として当たり前のことだと思っている。
それぐらいの強い気持ち。




35分間のクルーズはあっという間に終わりを告げる。
安田屋旅館のすぐ近くの船着場、梨子ちゃんが飛び込み台にしたあの桟橋に着岸。
三津浜の海の水は、水深3mほどの海底まで透き通って見えるほど透き通っていた。

どこからともなく飛んでくるカモメ。
海底に佇むウニ。
柔らかな日差しと穏やかな自然に囲まれた内浦で、生き物たちと住民の皆さんの穏やかな暮らしが脈々と続いている。




どんなにギスギスした世の中になろうと、常に穏やかな気持ちにさせてくれる場所。それが沼津。
山手線のように矢継ぎ早に現れては過ぎ去る日常生活の流れから離れて、スロウな時が流れる沼津に身を置くだけでも、心は洗われていく。
そして、千歌たちが"輝き"を追い求めていた時のように、心はスッと晴れていく。

三津浜の河津桜も花開き、春の足音が近づいてくる。
この春で積極的に沼津に足を運ぶようになって1年が経つ。
大層な約束という程では無いけど、私は駿河湾の上でこの街に約束を交わした。


何が起ころうと、沼津の街に寄り添い続ける。
沼津の街をもっと深く知る。
骨を埋める覚悟で、沼津への愛を捧げ続ける。




さて、この先の5~10年の沼津のことを想うと、見違えるほど街は変容していくに違いない。
生まれていくもの、消えゆくもの、その全てに愛を捧げること。
それが先述の約束を守るためにも、絶対大事なものだと思うから。
―――――― もう何も恐れない。


2024年2月18日
中井みこと


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